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2008.3.31.(Isn.)
週明け、きょうも東証株価は大幅下げで、結局1万2000円台の半ば。きょうが年度末だが、今年度で27%ほども値下がりしたらしい。USAのサブプライムローンに加え、日本ではF田(康)政権の無策も輪をかけた感じ。そのF田(康)総理は、政府・与党の意向とは一線を画した首相提案も、参院で多数を占める野党に受け入れてもらえず、あすからのガソリン暫定税率の期限切れが決まってしまった。最も迷惑をこうむっているのはおそらく、地道に商売をしているガソリン小売業者であろう。1か月後には税率は復活するかもしれないし、経済が不安定なときに混乱をもたらすことだけは勘弁してほしいもの。
2008.3.30.(Ah.)
あさってちょっと出かける予定だが、その際の手土産にと、私の自宅から目と鼻の先にある浄水通りのようかん屋に入り、そこそこのものを1本買う。店員さんがスタンプカードも作ってくれたが、ここに住むこと5年目にして初めて足を踏み入れたくらい。次に行くのはいつになるやら。
2008.3.29.(Sab.)
実家の母親からメールが入っており、妹の結婚式が5月下旬に決まったという。どうも私も関東まで出なければならないのか? やはり今年は、金運に恵まれていない。
2008.3.28.(Jum.)
午後に天神をうろついていて、何となく買おうかなと思ってはいた音楽CDを購入してしまう。こういうものを買うのは何年ぶりだろうか。帰ってからラジカセにかけてみたが、電源を抜いて久しかったラジカセの操作にちょっとまごついてしまった。
2008.3.27.(Kha.)
公私にわたり比較的忙しい3月だったが、4月になれば少し仕事に余裕ができそう。乗り継ぎ、乗り継ぎを繰り返す遠出の計画を練ってみる。何とかなりそうという結論には達したが、実行できるかは定かではない。
2008.3.26.(Rab.)
フットボールW杯アジア3次予選、日本代表はアウェーでバーレーンと対戦。しかし、知将マチャラの術中にはまってしまい、ろくに攻撃の形を作れない。0―0で折り返し、後半開始まもなく、逆に速攻から決定的なピンチを迎えるが、ここはバーレーンのシュートがクロスバーをたたいて救われる。しかし77分、速攻で左サイドに食い込まれ、そこからのクロスをGK川口が左手ではじいたところ、これがバーレーンFWフバイルのヘッドに合ってしまい、山なりのボールがふんわりと日本ゴールへ吸い込まれていってしまった。残り時間、しばらくぶりに復帰のFW玉田を投入するなどして反撃を試みた岡田ジャパンだが、これといって決定的な場面を作れないまま、タイムアップの笛を聞いてしまう。なんとも気勢の上がらない1敗。今後の日本代表の進路が心配だ。昨日、脳こうそくで倒れて以来入院していたオシム前監督が退院した。今後は日本代表のアドバイザー的な肩書を持つことになるのであろうが、代表がこんな戦いを続けているようなら、そのうち「アドバイザー」ではなくなる可能性も考えられないではない。持ち札だな。
2008.3.25.(Sel.)
自宅からほど近いところにある警固交番。その新しい建物が、今までのちょっと引っ込んだ感じのところではなく、表通りのほうに出来ているのを見かける。大方、ここに移るのであろう。繁華街の延長になりつつあるこの地域、時には物騒なこともおきるだろうし、交番は目に付く通りにあったほうがよいのであろう。
2008.3.24.(Isn.)
3日前に行きそこなった運転免許証更新に出向く。今度はあらかじめ道を調べておいたので、道に迷わずに行き着けた。何といっても優良運転手なので、講習も30分で済む。本籍地も今回、鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)楠元町から鹿児島市武岡へと切り換わった。この後、自転車をこぎこぎ天神の「カメラのキタム○」まで出向き、この前の深島旅行でなくしたキヤ○ンEF35mmF2.0のフードを新調する。1650円だった。今度はなくさないようにしよう。それからさらに、ちょっと会社まで顔を出したら、結局深夜まで仕事をしなければならなくなってしまった。
2008.3.23.(Ah.)
1週間前と同じく、日曜夜が厄日なのは続いている。困ったものだ。帰宅してみると、母からメールが入っていた。1つ下の妹が結婚することになったとか。婚約者が先週末にかけて、鹿児島まであいさつに来ていたとか。こんな出来事が起きるとは、あすはきっと雪に違いあるまい。
2008.3.22.(Sab.)
帰りがけ、同僚のF井氏から「北日○本聞 富山特別編『鉄○の旅』」をもらってしまう。富山県の地元紙・北日○新聞による別刷りの小特集で、『○子の旅』とのコラボレーション。J○高山線に出来た新駅「婦中鵜坂」の開業を祝って、『鉄子の○』のメンバーが富山で鉄道の旅をするというものだった(ただ、作者のキ○チさんは行っていなかったようす)。『鉄子○旅』はヒットしてから、作者のキク○さんはあちこちの地方鉄道からひっぱりだこの様子だが……そういえば、現在私が住んでいる福岡でも、西日○鉄道が新駅を企画していたはず。その開業の際には、この富山での別刷り発行&イベント開催などと同様に、こちらでもそういうイベントが行われるやも。
2008.3.21.(Jum.)
昼過ぎに起きて、運転免許証更新のため、区役所まで住民票の写しを取りに行く。しかし、祝日明けの金曜日、区役所はかなり込んでいて、発行してもらうのに1時間ほどもかかってしまった。区役所を出たときには、すでに午後2時も回っていた。銀行で来月の家賃の振り込みなどを済ませ、書店で新年度のNH○テキストなど買っているうちに、2時40分ほどになってしまう。ここから急いで南区にある自動車試験場を目指したが、結局途中で道に迷ってしまい、午後3時半までの受け付け時間に間に合わないことが確実になってしまった。結局、きょうはあきらめる。また来週だな。ところで、○HKの語学講座は、ラジオの分がずいぶん易化してしまったようだ。結局、「1st」「2nd」「3rd」のテレビのテキストを買っただけ。「1st」は無理しないし、「2nd」は最近別に買っている雑誌があるので不自由しないが、問題は「3rd」だ。月刊誌には良さそうなものがないし、自分で問題集でも買ってこなすのが一番か。
2008.3.20.(Kha.)
春分の日。出社前に、会社近くにある某プレ○スが経営する弁当店に立ち寄る。最近、統括責任者でない日にはよく使うようになった。まだそれほどメニューを知らないが、そのうち「通」になってしまうかも。
2008.3.19.(Rab.)
「4th」の前に北天神の「武○メガネ」に立ち寄り、2日前にホテルのベッド上で踏んづけてゆがめてしまった眼鏡のフレームを調整してもらう。なんとか形は整ったが、フレームは、この2年間使用しているうちに、プラスチック部分にひびが入っており、塗装も少しはげた部分がある。そのうち換えたほうがいいのかも。
2008.3.18.(Sel.)
きのうほとんど眠っていなかったが、睡眠時間はきょうも6時間半ほど、午前6時49分に起床する。ホテル1階の食堂に下りて朝食。バイキング形式で、好きなだけ食べることができるのはありがたい。十分に食べた後、午前7時40分ごろにチェックアウト、J○大分駅へと歩き始める。昨夜はA嬢(仮名)に車で送ってもらったためによく分からなかったが、このコンフォー○ホテル大分から駅までは意外と距離があり、20分近く歩いてやっと到達した。佐伯までの往復2枚きっぷ(3800円)を買い、午前8時16分発の特急「にちり○」に乗り込む。9時23分に佐伯に到着。佐伯駅前を9時40分のバスに乗り、10時半すぎに港町・蒲江に到着(910円)。この町には、「大分県マリンカルチャーセンター」という施設があって、そこで2〜6月にはマンボウが見られるという。きょうの目的地・深島へこの蒲江港から出る船は正午発。少し時間があるので、行ってみようかとも思ったが、ここから歩いたらかなりかかりそうなので、結局やめにする。屋形島・深島への渡船「えばあぐり○ん」は、小さな客船。午後11時50分すぎに乗り込むと、意外にもおばあさんたちが5、6人。壮年のおじさん1人、スーツを着たサラリーマンと作業服を着た若い男性1人がずつと、けっこう乗っていた。船の人に、深島までの当日往復料金1330円を支払う。覚えているから大丈夫といって、特に切符は発行してくれなかった。ただ、きょうは雨になるかもとの話。空は、だんだん泣き出しそうに雲が厚くなっている。できることなら、降り出さないでほしいものだ。船内で、まずはにぎやかなおばあさまたちとちょっと話す。この中で屋形島に住んでいるのは1人だけで、あとは深島の人だという。深島は、現在の人口は30人を切っており、独居の高齢女性が多いとか。畑ももはややってなくて、自宅の周辺の庭で細々と大根などを作っているだけだという。その大根も、ヒヨドリがやって来て葉をついばんでしまうので、葉がなくなってしまうそうだ。鳥の多い島であるらしい。男性は少なく、夫婦で暮らしている高齢者は2組だけという話。漁業もやっておらず、蒲江のほうで巻き網に従事したりしている男性が1人いるだけだとか。10分ほどで、船は屋形島に到着した。屋形島在住だというおばあさん1人と、スーツと作業服姿の男性2人が降りていった。船は深島へと向かう。船内で、壮年の男性が話しかけてきた。聞けば、蒲江の商工会の会長をしているのだという。視察で深島へ行くらしい。「この屋形島までは内海で、波は穏やかだが、ここを過ぎると、波の荒い日にはすごく揺れるよ」とのこと。蒲江の生まれ育ちで、「蒲江も、私が子供のころは1万何千もの人がいたが、今の人口は8000くらいよ。漁師町だが、生活排水その他で海の富栄養化が進み、養魚林の役割を果たしてきた森が切られたりしたせいで、以前のように魚が取れなくなっておる」と教えてくれた。また、「港のところに『歓迎 釣り○カ日誌19ロケ』とか横断幕があったろう。5月に、映画のロケ班がやって来るんだけどよ、滞在費6000万円を地元で全部出さんとならんのよ。県と市が2000万円ずつじゃが、さきほど商工会でも50万円出すことに決めたんじゃ」といった話も教えてくれた。午後0時半ごろ、船は深島に到着した。商工会長が、「まずは灯台に行くといい。おばあさんに道を教えてもらいな」と言う。漁港とも呼べないような小さな船着場。白髪のおばあさんが、「こっから右に行って、そこ、見えるじゃろ。あのコンクリートの間を入って、山道に入り、丸木橋を越えていけば、やがて灯台があっとよ」とのこと。おばあさんたちは、船着場で物資のやりとりをしている。集落は左に進んだところにあるようで、商工会長も含め、みな左手に行くらしい。私は教えられたとおりに道を右手へと進み、山道に入って歩き出す。やがて、道はT字路に突き当たった。灯台は右の道を進んだほうらしいので、そちらへと進む。木立の中を進む山道、周りには馬蹄形の葉を持つつやのある草が目立ち始めた。やがて少し上り坂になってきて、先には白い灯台が見えてきた。道を上りきって灯台に近づいてみると、おや、50歳くらいの男性が1人、昼寝をしている。この島は男性は少ないという話だったのだが……向こうも起き上がり、あいさつしてきた。
「あ、どうも」と、私もあいさつする。男性は、この島在住の人らしい。さっき渡船の中で、2人くらいしか男性がいないというような話を聞いていたが、「そんなことはない。5、6人おるよ。島全体の人口はが、20数人だけど」と教えてくれた。後で知ったが、この男性はイサオさんという名前で1959年生まれ、巻き網漁などをやっているというのは、この人であるらしい。この灯台へは、島に自生するツワブキの採取のために山道へ入り、そのまま上ってきてここで休憩していたらしい。見ると、両足には作業用の長靴を履いている。この深島について、さらに語ってくれる。「この島はいい漁場で、蒲江からの釣り船や、遊漁客がよく来るよ。あそこの岩場の沖、4隻の船があるじゃろう。あれは蒲江の船で、ここでブリの一本釣りをしちょるとよ。きょうはおらんけど、岩場には釣り客がよく貼り付いているで。島には10か所以上の釣りのポイントとなっている岩場があって、多いときには30人以上が釣りをしているよ」と、かなたに見える海を指して言った。「あんた、灯台か鳥を撮りに来たね?」と聞いてきた。「いえいえ、灯台や鳥が好きな人もいますが、私はそんなことはないです。島の風景など撮りに来ています」と、答える。一眼レフカメラと三脚など持ち歩いているから、すぐに旅行者だとばれるようだ。さっき、深島へ来る途中フェリーの待合所のようなあずまやでも、蒲江港を歩いていたおばさんに、「旅行に来られましたかね?」と声をかけられたっけ。「この島、鳥も多いで。ヒヨドリが大根の葉をついばんでいる? それより、キジがたくさんいて、作物を食べるでよ。来る途中、キジを見なかったかね? ほれ、鳴き声が聞こえるじゃろ? あれがキジさ。あと、カラスも結構いるけどな」ということだった。キジがいるというのは初めて聞いたが、それは面白そう。何とか出合えないものか。昨年10月に行った島根・知夫里島のタヌキと同じで、非常に臆病なたちで、人の足音を聞いただけで逃げてしまうらしいので、写真に収めるのはちょっと難しいかもしれないが。「景色なら、ここからがいいが」と男性は、灯台の横の壁のようになっている土手の割れ目へと案内してくれた。下をのぞきこむと、垂直の断崖絶壁で、下界の海にはいくつかの岩場も見える。釣り客も1人いて、釣り糸を垂れていた。なかなか素晴らしい眺めだが、男性が言うには「結構前に、この場所から飛び降り自殺した人もおったよ」ということだった。男性は先に灯台を離れ、道を下っていった。私は蒲江港の店で買ってきた菓子パンをかじり、ごろんと横になる。きょうは6時間以上は寝たとはいえ、睡眠を全く取っていないに等しい前日からすると、まだまだ睡眠が全然足りない。日照はないが、まずまずの暖かさのある午後、私はここでしばらくうとうととした。帰りの船が出るまで2時間を切った午後2時半過ぎ、気を取り直して起き上がって、灯台から山道を下っていく。先ほどのT字路にさしかかったところで、ここは来た道である左へ曲がる道をとらず、山道をまっすぐ進んでみる。しばらく歩くと、到着した船着場の裏手にある集落へと出た。左手下に、住宅が何軒か。窓ガラス越しに、おばあさんが3人集まってお茶を飲んでいるのが見える。向こうもこちらに気がついたようなので、私も頭を下げた。その右手には、もはや人が住んでいない廃屋が1軒。こういうのも味があるので、写真に収める。もう少し進むと、T字路になっており、そこではおばあさまがた4人が路上に出ていて、なにやら包丁を使った作業をしていた。近づいて、のぞき込んでみる。見覚えがある。おばあさまがたは、この島に来るときに渡船で乗り合わせた方々だ。「すいません、何をやっていらっしゃるのですか?」と、声をかけてみる。「あ、兄ちゃんかい。ツワブキを切っとる最中じゃよ」とのこと。私が山道でたくさんみかけた馬蹄形の葉をした草が、4人の中央に積まれており、その茎の外皮を包丁でむいて、7〜8cmの長さに切っている。「この島のツワブキは、野生のもので、佃煮や煮しめにするとおいしいんじゃよ」とのこと。そして、白髪のおばあさんがこう言ってきた。「兄ちゃん、ツワブキの煮しめがあるが、食べんかね。昼ごはんまだじゃろ? この島は、食べる店とかないでな」。
私は灯台で菓子パンは食べたが、満足な食事はしていない。親切にも地元の山菜を料理して出してくれるというので、一も二もなく「あ、いいんですか。ぜひお願いします」と言ってしまう。白髪のおばあさんは、家の中に入っていき、しばらくたってから、湯気の立つツワブキとブリの煮しめ、それに野菜の入った味噌汁を持って出てきた。「ほら、食べなされ。ご飯も出すでな」と言って、若干冷えたご飯も茶碗に入れて持ってきてくれた。「い、いただきます」。道に出されている卓に着いた私は、ツワブキを切り刻むおばあさん方の作業を目の前に見ながら、そのツワブキの煮しめに舌鼓をうった。周りには、ネコが5匹ほどいて、私の食べているところにも1匹が近づいてきた。「これ、キンカン、こちらへいらっしゃい」とおばあさんの1人が言う。これらのネコには、「ミカン」だの「キンカン」だのと、1匹1匹に名前がつけられているらしい。あまり人を恐れず、近寄ってくる。白髪のおばあさんはさらに、ツワブキの佃煮と、大根の漬物も家の中から持ち出してきて、食卓に出してくれた。簡素だが、こんな贅沢な食事はないようにさえ思われた。「キジ? たくさんいるよ。この島、しばらく前は、どこから来たのか、イノシシも1匹おったでな。ツワブキ摘みに行くのも危ないから、そのころは2人以上で行っていたよ。死んだのか、海を渡っていったのか、もう見なくなったけどな」。こんな話を聞きながら、食事を進める。ご飯のお代わりも出してくれて、すっかり満腹になってしまった。おばあさんは、「ほれ、持っていきなさい」と、冷凍したツワブキも1パックくれた。時刻は午後4時近く。先ほどから、ぽつぽつと雨も降り始めていた。幸い、それほど強く降り出す様子はない。すっかりごちそうになったところで、お礼を言ってここを後にする。もうそれほど時間もない。最後に、島の北側にある小学校跡を見てから、船着場へ向かおう。途中、入り江のようになっているところで、年取った男性が1人、防波堤のほうを見ているのに出会った。防波堤では、パワーショベルが1台止まっている。「すいません、あれは何をしているのですか?」と私が聞く。「あ、あれは壊れた防波堤を修理しているのよ」とのことだった。小学校跡はどこにあるかと聞くと、「あぁ、その道をまっすぐ上って、ため池の隣を通っていけば、行き着くがな。ただ急がないと、もう船の時間まであんまりないよ」とのことだった。ため池のほうへと続く道の傍らには、町営住宅も建っていた。ここには、かつて小学校の教員さんあたりが住んだのだろうか。やがて、道の左手に水をたたえたため池が現れ、それに沿って進んでいくと、前方に「町立蒲江小学校分校」と刻まれた門が見えた。なかなか立派な校舎も見える。結構広い校庭の、長く伸びた茶色の芝に一歩足を踏み入れたその瞬間、校庭の向こう側の端から茶色い物体が、1つは私の視界の左下へ、もう1つが右上へと、泡を食ったように大慌てで飛び立っていった。「あ、キジだ。見られた見られた」。聞いていた通り、本当に神経質なようで、まだまだ距離は50メートルはあろうかというのに、校庭の反対側に現れた私の姿を見て逃げ去っていってしまった。これでは、写真に収めるのは至難の業だろう。あまり時間はないが、時の止まった校庭をうろつく。壊れたバスケットゴールが物寂しかった。さて、午後4時半発の渡船に乗るべく、船着場へと引き返す。道を下りていくと、ツワブキを切っていたおばあさま方が、なにやら荷物を持って船着場へと向かっていくのに出くわした。1日3便の渡船、生活物資を運ぶ生命線なのだろう。「小学校跡、行きましたよ。キジがいました」と私が声をかけると、「あの小学校、10年と少し前に休校になったかねぇ。別に廃校になったわけじゃないんだけど。キジはどんな色だった? オスはきれいな色よ。茶色? それはメスだが。メスは汚いよ」という返事だった。船着場へたどりつくと、来るときに乗り合わせた蒲江の商工会長さんもやがてやってきた。「どうじゃった? 退屈したろ? 何、楽しかった? それはなにより」と言ってくれる。この方は、さっき小学校跡へ向かう途中に見た、入り江の堤防の補修工事のことでこの深島へと足を運んだらしい。
聞けば、「深島は外洋の島だから、風が強いときには波が荒い。あの辺の堤防が壊れていると、高波が島を乗り越えて、今立っているこの船着場までもやって来るもんでな」ということだった。きょうは時折小雨がぱらつくものの、風は弱く波は高くない。きょうは実感できないが、深島は厳しい自然環境の中にあるのだ。商工会長はさらに、「行政は、そこにある島の集会所のような箱物には予算をすぐつけてくれるけど、こういう堤防の修復のような喫緊の問題に対しては、動きが鈍いからな……」ということだった。やがて船の時間になり、乗り込む。帰りの船中でも、商工会長さんからいろいろ聞かせてもらった。「あんた、福岡から来たかね。最近、博多には行ってないな。東京へは、昔サラリーマンをしていたこともあったし、今もいろいろ陳情のために出向くんじゃが」「蒲江はのどかな漁師町にみえるじゃろうが、いろいろ問題も多くてな。おれの個人的な考えじゃが、田舎というものは田舎の良さがあるんだし、田舎らしくしていたほうがええんよ。都会と同じことをしてもだめじゃ。都会の人は都会の人で、田舎の良さを分かる人も多いんじゃろうが。そういうことが、中に住んでいると分からんとよね。道路とか整備して交通を便利にしても、向こうからこちらに来るより、こちらから向こうへ流出していって、失うもののほうが多いんじゃが」。こういう考えを持った人が、商工会長として中央へいろいろ陳情をする役目を負わされているというのも、皮肉なものだ。屋形島へと着き、蒲江もほど近くなったところで、さらに語ってくれる。「屋形島の辺りまでは内海で、波はそう激しくないんじゃが、あそこに消波ブロックの列があるじゃろ。あれができたおかげで、ますます波は静かになったが、ほら、その隣に養殖のいけすがあるじゃろう。ブリやカンパチを養殖しているんじゃが、あれにやるえさの残りが海を汚してな。昔は波が海底を洗ってきれいにしてくれていたんじゃが、今はブロックのせいで波が穏やかになり、フレッシュな海水が来なくなって、海底は汚くなってもうた」「昔は蒲江の海はもっときれいで、泳げたものじゃが、今は遊泳禁止じゃ。ナマコもたくさんいたんじゃが、今は全く見られん」「蒲江のマリンカルチャーセンターが出来たとき、砂浜を埋め立てて用地を造成したんよ。一度埋め立ててしまうと、あのきれいな砂浜はもう二度と返ってこんな」「あの山が背平山といって、蒲江町で一番高い山じゃ。テレビ塔が建っているじゃろ? あれに行き着く舗装道路を作ったら、ふもとに湧き出ていた清水はもう飲めないものになってしもうた。何かを作れば、必ず何かが犠牲になるんじゃよ」。話は尽きないが、船はやがて蒲江の港にたどりついた。商工会長さんは、午後7時ごろに佐伯へと向かうので、よければ車に乗せてあげようと親切にも言ってくれたが、それだときょう中に福岡まで帰り着けなくなる感じ。結局、船を下りたところで「縁があったら、また会おうな」と言ってくれ、別れることに。私は午後5時25分の上りの最終バスに乗って、佐伯まで戻る。行きとは経路が違ったせいか、料金は1050円だった。佐伯駅から特急列車で大分へ。午後8時の高速バスにも間に合ったが、1本後の午後8時半の便に乗ることする。どこか喫茶店で、昨日A嬢(仮名)が薦めていた大分名物のスウィート「やせうま」を食せないかと思ったのだが、喫茶店は2軒ほど見つかったものの、店の前の表示は定食メニューばかりで、「やせうま」があるかどうか定かではない。深島で、午後4時前まで食事をいただいてきたので、あまり定食も食べたくない感じ。そうやって迷っているうちに時間が過ぎてしまい、何か飲み食いするには残り時間が十分でなくなってしまった。仕方ないので、マ○ドナルドでスナックセット(コーヒー+チキン、150円)をつまみ、高速バスに乗る。午後10時40分ごろに天神に到着。午後11時すぎに自宅に帰りつく。
2008.3.17.(Isn.)
はっきり言って全く眠れないまま、朝7時半ごろ起床。天神まで歩いて行き、9時発の大分行き高速バスに乗って出発。バスの中で、やっといくぶんか眠れた。2時間ほどで、大分に入ってから最初の停留所・椎迫に到着。ここで降りて、道路の向こう側にあるコンビニへと向かう。公衆電話があったので、かけようかとしていたとき、後ろから大分在住のA嬢(仮名)が現れた。事前の連絡どおり。きょうは、彼女の自動車で大分を案内してもらうことになっている。計画は任せてあるのだが、豊後高田の富貴寺、さらに耶馬溪の青の洞門あたりを訪れようという。まずは、別府方面に向けて出発。途中、高崎山・うみたまご水族館のゾーンに通りかかったため、まだ私が行ったことのなかった高崎山に立ち寄ることにする。高崎山に踏み込むと、すぐにサルが出てきた。もうすぐお昼、この時間はC群と呼ばれる700匹以上のサルの群れが、山から姿を現してここでたむろして、係員にえさをめぐんでもらう時間だという。マイクを持った観光案内の係員。話術がなかなか巧みで、サルの生態や各個体にまつわるエピソードを交えながら、お客をあきさせることがない。やがて正午となってえさタイム、小麦のえさをばらまくと、サルがいっせいに寄ってきてサルのじゅうたんともいえる光景を作り出した。高崎山を離れた後、昼食。伝統家屋風の喫茶店に入り、大分名物の「だんご汁」の定食を食す。大分の喫茶店にある甘味として、A嬢が「やせうま」なるものを紹介してくれた。これも名物であるらしい。いずれ食そうということになる。ここを離れ、車は一路国東半島の富貴寺をめざす。カーナビがついているので、大きく道を迷うことはない。途中、「熊野磨崖仏」なるものがあったので、ここに立ち寄ってみる。山道を登った先にあるという磨崖仏、しかし行き着くまでの道は思ったよりもずっと長く、A嬢などはふうふう言いながら上っていた。磨崖仏は、ぎょろりとした目がどことなくユーモラスな仏様と、優しい顔をした観音様。レリーフのように岩壁に刻み込まれていた。ここでかなり時間を食ったが、この後、路上でさらに見かけた小さな磨崖仏のところでちょっとストップした後、きょうの目的地・富貴寺へ。ここもこじんまりとした本堂。中には本尊様、及びそれをとりかこむ色あせた古い壁画群が、独特の雰囲気をかもし出していた。ここから青の洞門へ。途中、宇佐神宮を通りかかり、ここにもちょっと立ち寄る。1999年7月以来2度目の来訪だが、わが国の皇統を守ったゆかりの地。やはり趣があっていいものだ。いろいろと寄り道をしていたせいで、青の洞門にたどりついたのは、もうかなり日が傾いた午後6時ごろ。少年のころ、菊○寛の小説『恩讐の彼方に』を読んだが、それが収録された本の巻頭のグラビアに載っていた風景が、目の前に広がっている。30年彫り続けた一念、岩をも砕く。人の意志の力の素晴らしさを教えてくれるところだ。さて、観光の予定はほぼ終了。暗くなっていく中を、別府方面へと戻っていく。午後8時ごろに別府へ帰り着き、駅前のお店で大分名物「鳥天」の定食を食す。揚げ物、鶏肉、卵といったものが大好きな私。鳥天が嫌いなわけはない。やわらかいおいしさに大満足。さて、一日中遊びまわって、もう結構遅い時間になってしまったのだが、A嬢はせっかく来たのだから別府の温泉に入っていくのがいいと勧めてくれる。有名な老舗「竹○温泉」の前まで行ってみたが、どうやら営業終了の時間が近づいたところで、門を閉めている最中だった。A嬢が別府の路地を迷いながらも車を走らせて、モダンな温泉「テ○マス」があるところまで連れていってくれるが、ここも電気が消えている感じで、どうやら営業は終わっているようだ。というわけで、ここなら必ず開いているという別府・鉄輪温泉の「夢た○て筥」まで行く。ここの入浴料は500円。お湯はなかなか良く、肌がつるつるになった感じ。お湯から上がったころには、時刻はすでに午後11時。あすは私は早起きして佐伯方面に行こうかと思っているのだが、きのうからほとんど寝ていないうえに、きょうも遅くまで力の限り遊びまわってしまった。あす朝ちゃんと起きられるか、少々不安になる。
A嬢は、私がネットで予約を入れていた「コ○フォートホテル大分」を知っているということなので、そこまで送ってくれる。時刻は午後11時半すぎ。私がチェックインを済ませたところを見届けてから、A嬢は母が待つ実家へと戻っていった。郷里・大分を愛する彼女に、きょうは散々世話になってしまった。どうもありがとう。ホテルの部屋に入ってからは、すでに温泉で入浴も済ませているので、目覚ましをセットして寝るだけ。ただ、寝ようとしたときに、誤ってベッドの上に置いておいた眼鏡を踏んでしまい、フレームがかなりゆがんでしまった。眼鏡はもう1つ、度の強いものを持ってきているが、これは読書など近いものを見るのには全く向かない。少し困ったかも。気を取り直してベッドに入り、午前0時すぎには眠りに落ちる。
2008.3.16.(Ah.)
はっきり言って厄日。早くはないけど、もう寝るじぇら。
2008.3.15.(Sab.)
昨夜から情報が伝わりつつあったが、某国が50年余り前に軍事力で武力占領して、「自治区」なるものを打ち立てた地で、居住する民族による暴動が起こったらしい。某国政府のコントロール下にある「自治区」当局は、鎮圧のため発砲、発表では10人、実際には100人もの死者が出たらしい。冷酷無比、残忍で大うそつきのこの国のやることには驚かないが、現代に入り、ろくな武器を持たない民衆暴動というものは、科学的な近代兵器を擁する権力側に対し、あまりに無力になってしまっているのが悲しく、やるせない。「自治区」当局は、この暴動は長いこと国外に亡命したきりになっているこの地域の指導者一派が影で糸を引いているものと発表した。でたらめもはなはだしい。世界のだれも信じない。しかし、驚いたことに、わが国の新聞において、この事件を「自治区」当局が呼んでいるように「騒乱」と表現し、「〜派が策動」と夕刊一面の大見出しで報じたところがあった。あきれてものも言えない。この新聞社は、問い詰めれば、某国の政府が発表したことを報じたとでもいうのだろうか。何の吟味も考察もせず、悪魔の言い分をそのまま一面の最も大きな見出しにして掲載するとは、犯罪的、いや、犯罪そのものだ。この見出しの隣に、ちゃかしが多くて真摯さの感じられない夕刊一面コラムがあるが、きょうの内容は「見ザル、言わザル、聞かザル」というものだった。この件についてのこの社の態度を表しているかのようだ。某国では、今夏にオリンピックが予定されている。この国での開催が決まったとき、私は「最悪のニュース。IOCは魂を悪魔に売り渡した」とこの日記に書いたが、改めてこのことを実感した。著名な映画監督スピ○バーグ氏は、アフリカ・スーダンのダルフール問題でのこの国の政府の関与を指摘して、このオリンピック開会式の演出にかかわることを拒否した。人権に敏感な先進国には、こういう人が多い。アスリートも同様だ。そのうち、オリンピックのボイコットを宣言する選手も出始めることだろう。オリンピックを目指して日々精進しているアスリートたちに罪はないが、私としてこの大会は断固ボイコットしてほしいと心底思う。
悲しくおぞましいものから国内に目を転じれば、きょうは先週開幕したJリーグの第2節。春の椿事か、大分はきょうもホームで柏を2―0で破り、暫定とはいえ首位に立ってしまった。この日のJ1・7試合では、浦和、川崎、G大阪といったところが、いずれも2点以上の差をつけられて敗れている。開幕そうそう、尋常ではない展開に。J2では、今季から昇格してきた熊本が、草津を相手にJ初勝利。いい戦いを続けていれば、そのうち見に行こう。
2008.3.14.(Jum.)
私も何度か利用したことのある寝台急行・特急の「銀河」と「なは」が、時代の流れには抗しえず、きょうでもってついに廃止になるとか。テレビ中継されていた東京駅の「銀河」最終便発車の風景は、私の友人にも何人かいるような「てっちゃんみっちゃん」連中であふれていた。同じテレビで、鉄道を利用したミステリーを大量に世に出してきた作家の西村京○郎氏が、J○も夜行列車だけはちゃんと残しておいてほしいと言っていた。私も同感。
2008.3.13.(Kha.)
きのうにもさらに増して暖かい1日。福岡市の日中は22度を越えたとか。しかし、USドル安はますます急速に進み、東京で12年ぶりに1USドル=99円台に突入したとか。東証株価もこれを受けて大幅に下がり、日経平均は1万2400円台が終値。これまた2年半ぶりの安値水準に。懐のほうは、天候に反比例して寒くなりつつある。
2008.3.12.(Rab.)
きのうからの暖かさはきょうも継続、午後2時半ごろ、天神の福○ビルの温度表示板を見ると15度台だった。私は装いを冬物から春秋用に替えてきていたが、正解だったようだ。
ぬぅ、朝夕会議+α。もう寝るじぇら。
2008.3.11.(Sel.)
極めて暖かい1日。4月下旬並みに、20度近くまで上昇したようだ。セーターを着て外へ出たら、かなり暑かった。それとは別に、今夜から会社で夜の仕事が終わった後の更なる「夜なべ」が始まった。しばらくの期間、帰るのがますます遅くなる日が出てくることに。
2008.3.10.(Isn.)
朝と午後にセールス電話がかかってきたせいで、眠りが中断された。結局、起きてみると午後3時すぎ。せっかくの休日だが、休息をとる以外のことはできなかった。夕食に、ホッケの開きをを買ってきて焼いて食す。それほど魚が好きでない私だが、サバとならんでこの魚は好きだ。会社に入った最初の年の夏、旅行先の北海道・函館で食して以来だろうか。きょうのも、脂が乗っておいしかった。
2008.3.9.(Ah.)
きょうは雨なのだが、なぜか花粉症がひどくなった感じ。深夜に薬を飲む。今年は例年ほど症状がひどくないような気がしていたのだが……やっぱりだめか。あまり薬物に依存するのもよくない(しお金がかかる)ので、そう頻繁には使いたくないもの。
2008.3.8.(Sab.)
午前中の「5th」からの帰り、よく寄っていたタンタン麺のお店に行ってみると、なんともうなくなっており、店舗のあった場所は博多ラーメンの店に改装中だった。確かに、客でいっぱいという状態は見なかったし、しばらく前に麺の値段を100円下げていたりしたので、はやってはいないなと思ってはいたのだが……ここの味は結構辛くて気に入っていたので、もう2度と食べられないのは少しさびしい。福岡都心かいわいの飲食店は、はやりすたりが早いが、ここも開店して1年にもなっていなかったろう。
今年のJ1、J2が開幕。梅崎、山崎、松橋(章)といったところの流出と、高橋や新加入・家長の負傷で、降格候補1番手とも思われた大分が、なんとアウェーで清水を下してしまい、J1昇格6年目にして始めて開幕戦勝利を飾る。鳥栖もJ2創設10年目にして初の開幕戦白星。新昇格の熊本は、敗戦からのスタートとなった。フットボールシーズン、いよいよ始まる。
2008.3.7.(Jum.)
1年余り前にカナダへ行き、昨年末に郷里の大分へ帰国していA嬢(仮名)が、知人を訪ねて福岡へとやって来た。きょうの昼なら私も空いているということで、午後1時半にJ○博多駅で待ち合わせて、昼食とする。北米からの土産物である「Walden Pond」のマグネット、これが何なのか分からなかった私。ウォルコットくらいは知っているのだが、北米の文学についての知識がないことを露呈してしまう。パスタランチを食べながらの会話:「私は先月小値賀に行ったけれど、いずれここに家を買って、自分で食べるものくらい畑で作ろうかと思ったよ」「あ、私、子供のころ一家でちょっとした畑とかやっていたんですよ。おイモとか作っていました」「あ、イモ。いいねぇ。あなたのイメージにぴったりだ」「……せめて、『お花を作っていたらぴったりだ』くらい言ってくれません?」。こうして、無事に楽しく1時間ほどが過ぎていった。ここ1年余り世間との交わりを断っている私だが、先月にはI上(知)、今月はA嬢と、なかなか楽しい来客があった。しばらくぶりに饒舌になったかも。聞けば、A嬢が家族に少し宣伝してくれたせいで、彼女の母と姉も私のこのウェブサイトの存在を知っており、たまには見てくれているらしい。昨年11月のインド旅行以来、ちょっと更新が滞ってはいるが、ようやくきのう2編ほどをほぼ書き上げた。まもなくアップできるであろう。
2008.3.6.(Kha.)
昼に間違い電話と勧誘電話がかかってきたせいで、終盤の眠りが少し妨げられた。布団に戻ってもう少し寝ると、きょうも起きたのは午後3時を過ぎていた。緊急に、あすは昼ごろには起きなければならなくなったし、あさっては「5th」のうえにJ開幕日。会社にも行かなければならない。備えるため、きょうは少しだけ早く寝よう。
2008.3.5.(Rab.)
夜、会社帰りに、警固にある福岡では珍しいみそラーメン店を訪れる。味はまずまず。平日は基本的に深夜2時までやっていて、帰り道に位置しているので、これからも時には寄ることがありそう。
2008.3.4.(Sel.)
東証株価同様に天候にも寒さが戻り、朝から雨の降り続いた冷たい1日。福岡市では雪を見なかったが、タクシーの運転手によると、少し郊外へ走ったら雪が降ってきていたという。あすは少し積もるところもあるのだろうか。
2008.3.3.(Isn.)
ひな祭りの日、ドル安が急速に進み、1USドルが一挙に102円台に。これを受け、東証の株価も急落、一気に600円以上も下がり、1万3000円台を割り込んで、今年に入っての最悪水準に逆戻り。この日は、大陸から大量の黄砂が飛来し、九州をはじめ西日本は視界不良に陥った。日本経済も視界不良といったところか。
2008.3.2.(Ah.)
早起きして、午後0時30分から上映の「サラエボの花」をKB○シネマまで見に行く。内戦から10年を経たボスニア・ヘルツェゴビナの首都に暮らす母娘を描いた作品。クライマックスで、本物の戦乱をくぐりぬけてきた母が、短銃を構える12歳の娘をその重すぎる迫力で圧倒し、真実をたたきつけるように告げるシーンはまずまず印象的だが、それ以外では期待していたほどではなかった感じも。もともと、派手な作品ではないのだが、若干物足りず。事実を告げられた後、自ら丸刈りにしてしまった娘の行為は、母が苦し紛れに「父に似ている部分」と表現していたからだということには、劇場を出てから気がついた。片方で無法と暴力の闇社会が息づきながらも、荒廃と貧困から立ち上がりつつあるボスニアの都にとどまって生きる選択をした母。他国への修学旅行へ出かけるバスの中で、母国への愛をうたう歌を口ずさむ娘、いくつもの民族が交差するバルカンの国で、その存在こそが美しい花。
2008.3.1.(Sab.)
今年のフットボールシーズン到来を告げるゼ○ックススーパーカップ、今年は昨年のリーグ戦・天皇杯覇者である鹿島vsJ2へ降格した天皇杯準優勝・広島という異色の顔合わせ。相変わらず暁を覚えない私が起きだしたときには、もう後半も半ば以上過ぎていた。すでに両軍退場者を出しており、2―0の鹿島リードの状態から80分、広島が微妙な判定でPKを獲得すると、今季から復帰したドラゴン久保がけりこんで2―1。勢いの出てきた広島、5分後に日本代表FW佐藤(寿)のヘッドが、ポスト左に当たってゴールに吸い込まれ、同点に。このまま試合は2―2で終了し、規定によりPK戦闘に。鹿島の日本代表GK曽ヶ端が、2本のPKを止めたかと思われたが、いずれも動き出しが早いとの判定を受け、けり直しの末にゴールイン。広島が4―2でこのPK戦を制し、以後当分ありえないであろうJ2チームの優勝という結果になった。ただ、もとから荒れ気味だった試合。PK戦が終わった後に、曽ヶ端らが主審に詰め寄って暴言を吐き、イエローカード。後味の極めて悪い結末にもなってしまった。
2008.2.29.(Jum.)
4年に1度の2月29日。きょうも非常に眠く、起き出したのは午後3時ごろ。外へ出てみると、気温はやや高めで、春も近い雰囲気。スギ花粉の飛散量もかなりあった感じだ。
2008.2.28.(Kha.)
1年半ほど前に、冥王星が惑星から準惑星に降格になったが、神戸大の研究員らが、エッジワース・カイパーベルト帯のこれら準惑星・小天体の軌道が、かなり極端な楕円形になってしまった原因として、太陽から80天文単位以上外側に、軌道の傾いた地球ほどの大きさ、その半分ほどの質量の新天体があると仮定すれば、計算がうまくいくという。なにやら、「天体力学の勝利」とうたわれた100年以上昔の海王星発見を思わせる展開。実際に仮定された第9惑星が存在するかどうかは、観測を待つことになる。さて、「発見」が報じられる日は来るのか。
2008.2.27.(Rab.)
きょうは「4th」の日とはいっても、つかの間の休息の日。終わった後、エドワ○ド氏と喫茶店へ入り、しばらく語って過ごす。『ク○スオーバー』にわざわざ名前を出してくれたのは、少々面映い感じも。
2008.2.26.(Sel.)
小値賀から帰って1週間になるが、いつものごとく小値賀での疲れが抜けないまま仕事に入り、かつ3日前の休みには、早起きして「5th」のあと夜には延々と飲酒してしまったせいか、疲れがたまっている感じ。きょうも起き出せたのは午後2時半すぎだった。あすも「4th」で出かける日だし、しばらくゆっくり養生できそうにない。
2008.2.25.(Isn.)
ここのところ値動きの激しい東証株価、きょうは400円以上上がり、1万3900円台に。それでも、昨年の水準にはまだまだ遠く及ばない。上げ下げはあるにしても、今年のうちは回復しないかと見ているのだが……。
2008.2.24.(Ah.)
12時間以上も寝て、起き上がったのはやっと午後1時ごろ。昨日、世の中で何が起こっていたかなど全く知らないので、新聞を開いて情報を仕入れる。サッカー東アジア選手権は、日本は韓国と1―1で引き分けて、得失点差で優勝を逃したらしい。きょう行われた女子のほうは、3―0で地元中国を下して、見事に3連勝で優勝を果たしたのだが。
2008.2.23.(Sab.)
現在(3月いっぱいまで)大阪にいるI上(知)が、福岡までやってきたということで、夕方に天神で待ち合わせて。会食とする。歩いて、きのう位置確認をした長浜の市場会館まで赴く。ちょうど店の夕方からの営業が始まる午後6時過ぎに到着。勧められた「○魚食堂」は閉まっていたので、その向かいにある「ま○味」に入る。注文した刺身は量が少なかったが、フグのから揚げなどそれ以外の一品料理は、ボリュームがあってかつ美味だった。父親の介護のために、秋田から大阪へと異動していったI上(知)の話を聞く。よくこれほどまでの苦労を背負い込めるもの。孝子というのはこういうものか。8時前に店を出て、次は歩いて長浜の屋台外へ。メタミドホスはおそらく入っていない餃子などを食す。9時前には出て、タクシーで中洲へ移動。会社の3次会などで何度か行った店に入り、11時近くまで過ごす。最後は、少し歩いて見つけたバーに。外に出ると、みぞれ交じりの冷たい雨が降っていた。自宅に帰り着いたのは、恐らく午前0時を回ったころ。すぐに寝入る。
2008.2.22.(Jum.)
きょうは給料日。出社の前に天神のみず○銀行まで赴き、現金を少々引き出す。若干の時間があったので、長浜の市場会館の前を通ってみる。ここに入居しているいくつかの食堂で売られている海鮮丼は、非常に新鮮でおいしいという話。会社のとある人は、「福○食堂」をすすめていたっけ。若干私の行動半径から外れているため、今まで寄り付かないで来たが、じきに試してみなければ。
2008.2.21.(Kha.)
会社で、百貨店の商品券を2万円分もらう。もうけた、といっていいであろう。
2008.2.20.(Rab.)
東アジア選手権に臨んでいるフットボール日本代表、きょうは地元・中国との対戦。FWは田代の1トップの布陣。危惧されていた「こと」は、観客席ではなくピッチの中で起こった。日本が17分にMF山瀬(功)のボレーシュートで先制した後、中国が速さを生かした攻撃を見せ、スリリングな展開。後半は中国の出足が止まり始め、そして危険きわまりないラフプレーの連続。MFとして起用されていた安田(理)などは、相手GKからけりを入れられて倒れ、そのまま交代となった。怒りをあらわにする岡田監督。しかし、もはやスポーツとも思えない振る舞いにも負けず、日本代表は後半はそれほど反撃を許すこともなく1点を守りきり、勝ち点3を手にする。韓国は北朝鮮と引き分け、次で勝ったほうが優勝となった(プッカンにもチャンスがないわけではないが)。離脱者が多く、故障者も増えてしまった日本代表、どうこのアジアの宿敵と戦うのか、注目。深夜に帰宅してみると、しばらく会っていない人間からの連絡が入っていた。3日後あたりに九州へ来るかもとのこと。
2008.2.19.(Sel.)
かなりよく眠れて、目が覚めたのは午前7時35分ごろ。部屋の壁に張ってあった紙には、朝食は午前7〜8時ということになっていた。これは急がないといけないか。すばやく身支度をすませ、40分すぎに1階の食卓につく。昨夜は私のほかにも何人か泊まっているのだが、食卓に置かれた膳には、すべて布がかけられていた。だれも起きてきていないようで、私が一番乗りだ。私が食べ始めたすぐ後に、昨夜もいた工事関係の人らしい3人が降りてきて、隣の卓に就いた。しばらくして、私の向かい側に並べられていた2膳にのところには、60歳くらいとおぼしき夫婦連れがやってきた。定年を機に、昨年愛知から子供のころに共に過ごしたという平戸に移り住んで、武家屋敷庭園の保存事業に取り組んでいるという。こういうことをやっているため、アレックス・カー氏の講演に興味を持って、昨夕小値賀を訪れたらしい。夕食は民宿では食べなかったので、朝食だけの1食ということで泊まっていたのだという。2人や民宿のおばさんと一緒に、ゆっくりとした朝食。4畳半での1泊2食と瓶ビール1本の会計5500円を済ませて部屋に戻ったのは、8時50分ごろだった。さて、帰りの船は午後2時35分発の高速船「フェニッ○ス」にしようかと思っているので、まだまだ午前中時間がある。きょうは、昨日見られなかった、この小値賀島の北西にあり、橋でつながっている斑島の観光スポット、「ポットホール」へ行ってみよう。9時15分ごろ歩き始める。天気は快晴で、雲はほとんどない。きのうよりもずっといい天気で、気温も上がっているようだ。2月とはいえ、絶好の日和。写真も撮りつつ、昨日は帰りに通った北西へと延びる道を進み、やがて「斑入り口」へ出た。きょうはこの交差点を曲がり、斑島のほうへと向かう。しばらく歩くと、斑大橋が見えてきた。その先の島に、集落が見える。橋を渡り、午前10時10分ごろには到着した。しかし、どうも腹の調子が悪くなってきた感じ。右手には漁協があったが、どうも使えそうなトイレは見えない。もう少し歩くと、小値賀交通のバス停「斑」があった。隣に公民館のような施設があるが、ここの入り口は施錠されていて入れなかった。バスの待合所をのぞいてみると、おばあさんが1人いる。あいさつをして、話しかける。まだ10分以上待たないと来ない、1日に3、4便しかないバスを待っているのだという。「すいません、この辺にトイレありますか?」と聞いてみると、「あ、この裏手にあるよ」という話。これは助かった。このバス停から、「ポットホール こちら」の表示がある右手にのほうの道を進むと、やがて広々とした海沿いの草地に出た。この季節なので、草は茶色いが、なかなかふかふかしている。そういえば、小値賀島では、このような草地を利用して、ウシを放牧している風景もところどころで見られたっけ。天気もよく、冷たい海風もさわやかなこの草地の先の方に、鳥居と看板とが立っていた。玉石が岩の間に入り込み、波にもまれて丸く黒光りするようになった天然の「ポットホール」、それを「明神」としてまつってあるらしい。草地の向こうの岩場で、白波がくだけていた。なかなか壮観。この岩の間に、波に洗われる玉石があるのだろう。岩の上に造成された観光用の小道を歩いたが、どうもどこに玉石があるのか分からない。道は少し進んだところで終わっていた。「あれ、どこだ?」と疑問に思ったが、どうしても見つからない。仕方がないので、岩に砕ける波などを写真に収めていたら、ジャージを着た体育会系的な青年2人が後からやって来て、「あのぉ〜、ポットホールはどこですかね?」と話しかけてきた。「いや、私も見つけられないんですよ。この辺にあるはずなのですが」と答える。一緒になってこの辺一帯をきょろきょろしていたら、ふと、道の終わり近くにある岩の1つに、小さな標識が刺さっているのが見つかった。幅10cm、高さ5cmほどの小さな金属製。ひょっとしたら、これが目印なのだろうか。表示プレートもかつては貼り付けてあったが、脱落したのかもしれない。そこから岩と岩の間、奥深いところを見つめてみる。暗がりの中に、波にぬれ光る黒い大きめの玉石があった。「あ、ありましたよ」。青年2人にも知らせてやる。どうやら、目指すものは見つかった。これも写真に収める。十分にここら辺を味わってから、午前11時30分ごろにここを離れ、引き返す。日に数本しかない「斑」のバス停を見てみると、午後1時4分にここに来て、きのう訪れた柳地区あたりを回って小値賀の中心地・笛吹地区へ行く便があった。帰りはこれに乗るのがいいかもしれない。この斑島の観光コースは、観光コースに「サンセットポイント」があるため、「夕暮れロード」と名付けられているようだが、ここには「ポットホール」のほかにも、展望台公園「斑島園地」がある。バスが来るまで、ここを訪れるとするか。
斑島の入り口から園地まで、1600メートルとの表示がある。ちょうどいいだろう。少し上り坂の道を歩いていく途中、正午を告げる「エーデルワイス」の曲が流れてきた。しばらくして園地へ到着。小値賀島のほかに、付属の藪路木島や古路島といったところが見渡せた。天気もいいし、気温も上がってきた。昨夜はぐっすり寝たとはいえ、その前が睡眠不足なため、まだまだ寝足りない。ここの草地にごろりと横になり、日光浴兼昼寝とする。ただ、バスの時間もあるし、ゆっくり寝ているわけにはいかない。うつらうつらいい気分になりながらも、午後0時35分ごろに飛び起き、「斑」のバス停へと引き返す。1時5分前くらいには到着した。10分あまり後にやってきたバスは「斑」の表示、ここが終点で、ここから引き返すのだろう。降りてきた乗客は1人。さっき待合所で出会ったおばあさんだった。ここからバスに乗る。車内では「これから、お知らせくだされば、お好きなところで降車できます」との放送があった。さすが島のバス。融通がきく。途中で1人、年配の女性が乗ってきたが、乗客は2人だけ。浜津、柳地区を回り、姫の松原の学校群を抜けて、どうやら笛吹地区に戻ってきた。ふと気づくと、町役場が右手にある。「あ、ここで降ります」と運転手さんに告げて、バスを降りる。270円だった。民宿「○とせ」は目の前。置いておいた荷物を引り取り、おばさんに別れを告げる。おばさんが言うには、この民宿「ちと○」は、夫の両親がもともとやっていた民宿であるらしい。この家のルーツは、少し離れた大島にあるとか。ただ、おばさん自身は島の人ではなく佐世保の出身で、1990年にこの島へ嫁いできたのだとか。民宿の運営を任されたのは、昨年からであるらしい。もともと九州本土の人であったとは知らなかった。「また来るときも、ここに泊まります」と言って別れを告げる。時刻は午後1時40分すぎ。ほんの少し時間に余裕があるので、港のターミナルへ行く前に、近くの「あわび館」に寄る。地元のあわびやサザエの販売を行う施設、2階にはあわびとあわび漁に関する展示があり、あわびで作った細工物も飾られていた。1階では、おばさんが1人店番。近くのあわび栽培場でえさにするというわかめをカットしていた。ここを出て、ターミナルへ向かう。美○海送の高速船「フェ○ックス」の切符は、3500円。来るときに使った九○商船の高速船より、1000円以上も安い。ポスターには、「○咲海送は値上げせずに頑張ります」というようなことが大書してあった。この値段は頑張っているのだろう。負けずに続けてほしい。奥の待合室に進むと、昨晩講演を聴いたアレックス・カー氏や、上演DVDに出ていたUSAの高校生の修学旅行コーディネーターの青年もいた。彼ら一行も、この船で帰るらしい。「あ、アレックス・カーさんですよね。昨夜、講演を聞かせていただきました。最近、離島の旅などしている者です」などと言い、ちょっとお見知りおきを願う。昨夜の講演、最後のほうで眠っていたことは言わず。あまりしつこく話すのもなんなので、適当なところで離れて、売店をのぞいてみる。お菓子や絵はがき、キーホルダーなどのほかに、「一島入魂」のデザインの入った半そでTシャツや、ジャケットなどが置いてあるのに目を奪われる。「この売店、私も来たときにはよく買い物しますよ」と、いつしかカー氏が近づいてきていた、話しかけてきた。Lサイズの青のTシャツを手に取ると、「それはL。私はMを買っていますが」とカー氏。よく身長を見てみると、私よりも小さい。170cm少々しかないようだ。アメリカの白人にしては、かなり小さい部類だろう。しかし、私は国内やアジアではいつもLを買っていることだし、これにする。1枚1500円。しかし、なんかの役に立つかもしれないと思い直して、Mサイズの赤のものも買うことにした。店の人に、「ここのお土産としては、何がいいですか?」と聞くと、「やっぱり納島ピーナッツですかね。おいしいですし、人の好き嫌いもありませんから。よく品切れになりますよ。1回で10袋も買っていくような人もいますね」。殻をむいたピーナツ200グラム入りの小さな袋1つが550円と高いが、粒は大きく、おいしさは保証つきだ。先ほどの「あわび館」でも2袋求めていたのだが、さらに思い切って3袋買い足すことにした。Tシャツ2枚と合わせて、結構な出費となった。やがて高速船に乗り込む。カー氏一行は、見送りの島民たちに別れを惜しまれていた。午後2時35分に出港して、午後4時過ぎに佐世保港に到着。きょうも昼食を食べていない私。佐世保バーガーを食そうと、四ヶ町アーケードのほうへ向かう。「ビッグマ○」を探して歩き回ったが、見つからず(後で確認したら、アーケードの筋を少し外れたところにあった)。結局目に付いた「ラッキー○」に入り、エビカツバーガーセット810円を頼む。
直径13cmとまずまずの大きさ。先客に米兵らしい白人と黒人の2人組がいたが、もう食べ終わっていて、やがて出て行った。しばらくして、5人ほどの集団が入ってきた……と思ったら、なんとカー氏一行だった。コーディネーター氏に「また会いましたね」と、声をかけられる。カー氏が、「佐世保に来たからにはやはり、佐世保バーガーが食べたい」と所望したため、目に付きやすいこの店に入ったのだとか。せっかくだからとカー氏が、私に名刺を渡してくれた。これは親切。私のほうも名刺にメールアドレスを書いて手渡す。さて、どうやら今回の予定はこれで終了。バスセンターに向かい、午後5時20分発の高速バスに乗り込み、福岡へ戻る。やはり疲れているため、高速船と同様、ほとんどを眠って過ごした。
2008.2.18.(Isn.)
睡眠時間わずかに1時間半。午前5時すぎに起床して、準備しておいた荷物を持って、天神バスセンターへ向かう。午前6時20分発の高速バスに乗り、8時15分ごろに佐世保へ到着。ここから、歩いて駅の裏手の方にあるフェリー乗り場まで向かう。ターミナルが2つあり、私が乗る○州商船の高速船は、奥のほうにある鯨瀬ターミナルから出る便であった。午前9時10分発の高速船「えれ○んと1号」の切符を買う。4690円。けさは朝食を食べていないので、ターミナル内の売店にあったコンビニ弁当を買う。420円の表示が出ていたが、売り子のおばさんは「400円でいいよ」と言ってくれた。親切。船に乗り込んでから食す。30人ほども乗っていただろうか。結構利用客は多いようだ。睡眠不足なうえに腹がくちくなって、船が動き出してからしばらくして眠くなった。寝ているうちに10時35分、今回の目的地・小値賀島に到着。港へと降り立ち、堤防の上をしばらく歩くと、島の中心地区・笛吹に出た。約3000の人口があるだけあって、結構開けている。商店が立ち並び、軽自動車がひっきりなしに行きかっている。いくつか民宿の看板も見える。メインストリートをしばらく歩いた先、小値賀町役場の斜め前に、今回利用する宿・民宿「○とせ」はあった。呼び鈴を押し、中へ入る。切り盛りしているおかみさんらしいおばさんに案内されたのは、4畳半の小さな部屋。きょうはほかにも宿泊客があると言っていたっけ。広くはないものの、こぎれいな部屋だった。荷物の一部を置いて、ちょっと休憩してから、午前11時30分ごろに出発。島を歩き出す。しかし、一眼レフカメラと三脚を抱えたこの姿は、どうも開けた町並みの中では浮いている感じ。若干きまりの悪さを感じながらも、まずはまっすぐ北上する。名前がなかなかいい報国寺を過ぎ、日本名松100選に入っている「姫の松原」に入る前の路上で、向こう側から高校生とおぼしき制服を着た4人の女の子とすれちがった。私を見て、いたずらっぽい微笑を浮かべながら、「こんにちは」とあいさつをしてきた。私も「あ、こんにちは」と返す。奇妙な人が歩いているとでも思われたのだろうか。やがて、「姫の松原」に突入。名松100選に選ばれるだけあって、道の両側に、300年以上大切にはぐくまれてきたという大きなマツの木が立ち並んでいる。ここは島の文教地区になっており、小学校、ついで中学校、最後に高校と、なかなか立派な校舎とグラウンドが整えられているのが見えた。小中学校までならともかく、島に高校まであるというのは珍しい。やはり大きな島だ。やがて松林の道も抜け、島北部の柳地区へとたどりつく。売店が1つあり、そこを過ぎて歩くと、めざす柳港があった。こじんまりとした港。ここから、小値賀島のすぐ北に位置する周囲5.2kmの納島へ行く連絡船が出ている。小さいながら、おいしい落花生の生産で有名な島だという。ピーナッツに目のない私、製品は小値賀で買えるのだが、ぜひとも上陸してひと巡りしてみたいものだ。これまた小さな船の待合所に入り、船の時刻を確認する。それほど人は多くない島のはずだが、平日は1日に5便も渡船がある。次の船は午後2時20分発ということで、約2時間後だ。まだしばらく間がある。港をいったん離れ、澄み切った海の広がる美しいビーチだという、ここからちょっとばかし北西にある柿の浜海水浴場に行ってみることにする。「牛注意」などの交通標識(?)も立つ集落を抜けて進むと、やがて柿の浜海水浴場へと出た。うわさにたがわぬ、青緑色をしたきれいな海が広がる。それほど広くはないものの、白い砂浜も素晴らしい。シーズンオフで人影などなく、足跡1つない。天気はやや雲が多いものの、時折太陽も顔を出し、2月にしては少し暖かめ。さわやかな風の吹きぬける海辺を、じっくりと独占することができた。午後2時前になって、ここを離れて柳港へ向かう。しかし、戻る道をちょっと間違えてしまい、かなり遠回りをしてしまった。それでもなんとか船の時間には間に合い、午後2時20分発の納島行きの小船「さいか○」に乗り込む。片道210円。私のほかに、年取った男性が1人乗り込んでいた。「はて。うちの島に、何か用かの?」と、尋ねられる。私は、ピーナッツの産地だと聞いていたので、一度上陸して写真を撮ってみたかった旨を告げる。老人が言うには、「ピーナッツは、4月の下旬から5月のゴールデンウィークのころに植えて、8月下旬から9月上旬に収穫するな。今は植わっとらんよ。種もみの準備の季節じゃ」とのこと。きょう小値賀に到着して、ここまで歩いてきたことも話す。高校まで建っているのをさっき見て、ちょっと驚いたことを告げると、「昔は1学年に何クラスかあったが、今は1クラスしかなか。若い人がいなくなってしもうての。納島も、今は31人しかおらんて」という返事だった。納島の港には、5分ほどで到着。
気づかなかったが、この老人のほかにも、それこそ制服を着た高校生くらいの女の子が1人、乗り込んでいた。波止場へ降り立つと、すぐそこになかなか見事なアコウの木の群落があった。看板も立っており、そこには「納島には昭和61年現在、21戸92人が暮らしており……」などと書かれている。20年あまりで、人口は3分の1になってしまったわけだ。さて、帰りの船は午後4時発。このあとにも、午後5時40分の便があるのだが、そこまで待ちたくはない感じ。この小さな島、1周にとりかかろう。いつものように、少しまっすぐ行ってからは右手のほうに続く道をとり、反時計回りに歩き始める。これだけ人が減っているということで、廃屋らしき家が散見されたが、それ以外にところどころで目についたのは、中小のため池。これで農業用水を確保しているようだ。田畑には、聞いた通りまだ作物は植わっていない時期。ただ、耕運機できっちり掘り返されて、春に備えているような畑も目立った。また、枯れ草を刈り取って、焼いている風景も目にすることができた。この島は、木はそれほど密生していないが、小値賀と同じく松の木が目立つ感じ。北東端の岬のあたりでは、牛の放牧も行われていた。ここから西側のほうへ歩いていくと、掘り返した畑に施肥を行っている島民の姿が見られた。畑のわきに置かれた肥料の袋は、10種類以上もあろうか。いろいろなものを使っているようだ。そう大きくない島、歩いているうちにやがて、元の船着場へと戻ってきた。渡船「さ○かい」の乗組員は2人。船に近づき、波止場に立っていた乗組員の1人とちょっと話す。納島の人口減少は、平成に入ってから加速して、10戸ほどがなくなってしまったのだという。平日1日5往復というのは、こんな小さな島にしては相当多いが、これだけ人口が減った今、1回の運航にどれだけの人が乗ってくるのだろうか。日曜日は、1日2往復と極端に便数が少なくなる。これはきっと、この渡船乗員の負担軽減の意味合いが強いのであろう。さて、柳港へと戻って、再び歩き始める。この島に着いてから昼食をとっていない。柳地区の集落の入り口あたりで見た売店まで戻り、ここで116円のあんぱんを1つ買う。店のおばさんに、この柳地区について少し話を聞くことができた。集落の人は、ほとんど農業をやっているのだという。ため池があり、地下水も塩分がほとんどないので、田でコメが作れるのだそうだ。店の前には、小値賀バスのバス停があった。日に数便しか運行されていないが、しばらく待てばバスが来るようだ。乗ろうかとも思ったが、やっぱりやめて、島の幹線道路を再び反時計回りに歩き始める。しばらく歩くと、「斑入り口」というところに差し掛かった。ここを右折すれば、小値賀島のすぐ北西に位置する周囲5.6kmの斑島へと行くようだ。この島は、30年前に「斑大橋」がかかって、陸続きになっている。この島には、玄武岩の間の穴に直径50cmの大きな玉石が入って、荒波にお互いを研磨しているという「ポットホール」がある。日本で最大級の甌穴で、世界でも2番目の規模を誇るのだそうだ。行ってみたいが、すでに午後4時半も回ってしまっている。あす行ってみるのもいいかもしれない。交差点はまっすぐ進み、笛吹のほうへと進路をとる。途中、小さな墓地を見つけ、そこの入り口には「大東亜戦争殉難碑」も建立されていた。島へ行けば、よく見かける碑だ。この島でも、多くの戦死者・犠牲者が出たのであろうか。歩き続けるうちに、やがて笛吹地区まで帰ってきた。この島は、周囲57.3kmというが、幹線道路は海沿いからやや内陸のほうに巡らされているせいか、思ったよりも早く半周できた感じ。午後5時すぎ、民宿「ち○せ」へと帰り着く。食事は午後6時から。他に宿泊客もいるようなので、先に入浴。1日の汗を流す。やがて夕食。1階の広間へ行くと、地元の魚を中心とした夕食が並べられていた。ビールも1瓶頼む。私のほかに、仕事で来ているらしい4人の中年男性の一団。それに、私の向かいに宿の主人、左前におかみさんが座った。宿の主人が話しかけてくる。私はきょう、島を歩いてきて、納島まで行ってきたことを話す。主人が言うには、「ピーナッツは、(小値賀の南西沖にある)大島でも作っているけど、納島のほうが味がいいね。土壌が違うからやろか」。後で聞いたが、ご主人のこの家は、もともと大島にルーツがあるらしい。「大島にも小学校の分校があるけど、在校生は今3〜4人よね。小値賀の小中学校も児童・生徒が少なくなってしもうて、それぞれ建っている校舎を1つに統合しようかという話もあるよ」。ビールを飲みながら、こんな話をする。この宿の主人は、生の魚が苦手だといい、刺身は食べないのだそうだ。そうしているうち、ジャージを来た10代半ばくらいの女の子がやって来て、食卓についた。ここの娘さんだろうか……と思ったら、宿の主人が言った。
「ほれ、お客さんにごあいさつなさい。お客さん、この子たちが歩いているのに出うたろう?」。女の子は、ちょっと恥ずかしげに微笑んでいる。思い出した。昼ごろ、「姫の松原」へと向かう道の途中で出会って、あいさつしてきた女子高生4人組の中の1人だ。「きょううちに泊まるお客さんがいると聞いていたので、この人かなと思ったんですよ」とのこと。いやはや。高校には20数名がいて、私が納島へ渡る船の中で見かけた女の子も、「アヤちゃん」とかいう同級生であるらしい。私は娘さんやおばさんに、時折島々を訪れている身であることを告げ、「娘さんも、将来どこに住むことになるか分からないけど、この島が故郷でよかったと思うときが、必ず来ますよ」と言う。おばさんが、ふと思い出したように言った。「そういえば、きょうはそこ、斜めにある町役場の奥の町民ホールで、講演会がある日なんだけど。お客さん、島の魅力を訪ね歩いているのであれば、こういうものに興味があるんじゃないですか?」。おばさんは、奥からチラシを目の前に持ってきた。そこには、「日本人より日本の『美』を知っている東洋文化研究家 アレックス・カー氏講演会 〜島の宝物と観光事業〜」とある。T○S系のテレビ番組「情熱○陸」でも紹介された、日本の古民家再生事業などを手がけている人だ。午後6時半から番組の上映や主催者あいさつがあって、午後7時10分から本人の講演ということになっている。偶然にも、こんな催しがある日に小値賀に来たものだ。これは行くべきであろう。時刻は、午後6時半を回ったところ。本人の講演からでいいので、もうしばらくこの食卓で過ごす。ビールも1瓶ほぼ空けてしまった。頭がぼっとしてくるが、これは仕方がない。この食卓も去りがたく、午後7時すぎまで歓談を続けた後、「やっぱりちょっと講演会、行ってきます」と言って、すぐ近くの町民ホールまで出かける。ホールには、けっこうぎっしり人が入っていた。200人以上もいるだろうか。報道関係者とおぼしき人の姿も見える。中央、後ろから2番目の列に席に座る。講演はまだのようで、スクリーンにDVDの上映をやっている。内容は、USAの財団によるUSAから外国への修学旅行生派遣、その一団が長崎・平戸・小値賀コースへとやってきたときのもの。外国人の高校生たちが小値賀にホームステイし、海に囲まれた自然の中での漁業体験などを楽しんでいる。このコースを立案したのは、平戸に在住の若きコーディネーターで、かつこのコースは、財団が修学旅行生を派遣した50以上ものコース中、1位の評価を受けて表彰されたらしい。壇上には、その青年の姿も見える。財団から1位の評価を受けたというニュースが、長崎のローカル放送で報道されたときの映像も紹介された。予定時刻からは少し遅れた午後7時半ごろに、アレックス・カー氏の講演がスタート。カー氏は、通訳をはさまない流暢な日本語で、自身が日本の伝統文化に魅せられる原体験となった徳島・祖谷地方の暮らしの美しさから説き起こし、現在取り組んでいる古民家保全事業などへと諄々と穏やかに語っていった。ただ、私は睡眠時間1時間半のうえに、さきほど夕食をたらふく食べたばかり。しかも、アルコールまで十分に入っている状態。不覚ながら、講演の最後のほうでは眠ってしまい、肝心のクライマックスが聞けずじまいだった。カー氏の講演が終わった後はさらに、カー氏の古民家保全事業のパートナーである会社経営者の講演が行われたが、私はもうこれ以上自分がもたないことを自覚したので、これはパスさせてもらって、会場を抜け出して民宿へと戻った。おやすみなさい。
2008.2.17.(Ah.)
きょうはなんと午前10時前に起床。やればできるもの。午後になって、割と近くにある毎月第1・3日曜日に使用できる古紙回収ボックスまで、部屋にたまっていたチラシと雑誌を出しに行く。部屋にはまだ、空き缶・不燃物がけっこうたまっている。月1度の収集はあす夜なのだが、あすは自宅にいない予定なので、出すことができない。こちらは来月以降に持ち越しだな。フットボール日本代表は、中国で東アジア選手権に臨む。DF水本、MF羽生、FW播戸、田代といったところが先発出場。いつもとかなり違う顔ぶれでの1戦、いきなり開始6分に、川崎でプレーするFWチョン・テセの1発を食って、先制を許してしまう。元気のない日本代表、前半をこのまま終了し、後半も追いつけないなか、途中から播戸、MF山岸に代えてFW前田、DF安田理を投入。若い安田理がかろうじてはつらつとしたプレーを披露。69分、彼の突破から北朝鮮GKがボールをはじいたところを、前田が詰めてヘッドで同点弾。何とか追いついたものの、結局このまま試合は終了。前回のこの大会も、北朝鮮に敗れてけちがついたが、今回は敗戦だけは免れたものの、あわやという内容。調整的な意味合いが強いとはいえ、あまり先行き楽観視できなさそう。
2008.2.16.(Sab.)
ここのところ、非常に冷え込んでいる。きょうも布団から出る気がせず、起きたのは午後2時半すぎ。あさっては未明起きの予定だし、もちっと早起きしようかと思っていたのだが。
2008.2.15.(Jum.)
3日後の出立、行き先がどうやら決定。早起きをしなければならなくなった。今のところの天気予報によると、好天になりそう。何といっても今は2月、晴れて気温が上がってくれるのにこしたことはない。午後2時すぎに自転車で外出、西新の福○記念病院まで行って、数日前から鎖骨を骨折、手術して入院している同僚のM井さんを見舞った後、天神へ出て銀行で軍資金を引き下ろした。帰宅すると、政府の輸入小麦の引き渡し価格が、4月から30%も値上げされるというニュースをやっていた。やれやれ、パンやお好み焼きもおちおち買ったり食べたりすることができなくなってしまうのか。餃子に関しては先月末からだが。
2008.2.14.(Kha.)
バレンタインデー。今年も私には、会社の同郷人・M元さんが「うちの娘たち(中2と小5)から」と言って持ってきてくれたものだけ。下の娘さんの手作り品らしく、形は悪かったが甘くて味は良かった。感謝せねば。それはそうと、寒さの続く中、正月の延長上で出かけた韓国・チェジュを除けば、今年最初の出立の機会が来た。あすあたり、ちょっと手配をかけてみるか。
2008.2.13.(Rab.)
冬本番で寒い日。私が4年あまり前まで住んでいた北九州では、かなり雪が積もったようなのだが、ここ福岡は私が起きた午後にはすっかり晴れていて、気温は低かったものの、まったく雪を見なかった(朝方は降ったらしいのだが)。個人的に、今年はほとんど雪に縁がない感じ。この冬は、このままそれほど寒い思いをせずに終わることができるか。
2008.2.12.(Sel.)
私も何度となく利用したことのある弁当店チェーン(ほっ○ほっか亭)を九州・関東地区で展開している福岡市の会社・プレ○スが、総本部とたもとを分かつことが伝えられていたが、きょう新しいチェーンの名前が発表された。「ほっ○もっと」だという。すでに、「ほ○弁」といえば、できたて弁当の代名詞ともなっていた感じもあるので、どうもこの名前にはしっくりこない。実はちょっと複雑な関係のあった経営主体。ただ、3分の2以上の店舗がプレナ○側なのだという。新しい名前は定着していくのか。また、この店の弁当はなんと呼べばいいのであろう。
2008.2.11.(Isn.)
昨夜遅く、ソウルの崇礼門(南大門)から出火、韓国の歴史ある国宝第1号は、ついに全焼してしまったという。大都市の排ガスと震動のただ中にある、ただでさえ「もっと大切に」との声が絶えなかった建物、あまりにもかわいそうな末路となった。原因は放火であるらしい。今世紀に入ってから、アフガニスタンのタリバーンによるバーミヤンの大仏破壊などがあったが、人類の遺産ともいえる文化財が損壊されていく姿を見るのは、非常に悲しい。私が焼け落ちる前の崇礼門を見たのも、昨年の4月が最後となってしまったようだ。
2008.2.10.(Ah.)
鹿児島の実家から宅配便が届く。冬物バーゲンで買ったという衣類はいいとして、豚汁の素が数袋入っていたのは、何なのだろう。これも安かったのか。
2008.2.9.(Sab.)
私同様に例年花粉症に苦しんでいる、私のかつての本籍地の出身である会社のM元さんが、この時期に使うマスクはこれがいいと言って、「快適ガ○ドプロ(プリーツタイプ)」というマスクを勧めてきた。この時期、私は帽子をかぶり、乳酸菌食品を口にし、必要に応じて薬も飲むが、マスクはかなりうっとうしいので着けないことが多い。あまりメジャーなメーカーのものではないようだが(高知県に本社があるらしい)、見つけたら買って使ってみるか。
2008.2.8.(Jum.)
ここのところ、お代わり自由のカフェオレにひかれて、西○薬院駅前の「ミ○タードーナツ」で時を過ごすことが多いが、きょうはお代わりを配りに来る店員さんの頻度が低く、1時間ほどいたが2杯しかお代わりできなかった。ちょっと損したかも。
2008.2.7.(Kha.)
今年初めて、会社からほど近い「元祖長○ラーメン」に行ってみる。伝えられていた通り、ここのところの穀物価格高騰を受けて、替え玉1つが50円から100円に値上がりしていた。何かと身近なものが値上げされていく季節。
2008.2.6.(Rab.)
フットボール日本代表の、2010年ワールドカップアジア3次予選がスタート。雪の舞うホームで、東南アジアのタイを迎え撃つ。毎回この最終予選前の予選の最初の試合では苦戦する日本代表、きょうもMF遠藤のFKで21分に先制したものの、その余韻もさめやらぬうちに、タイのFWティーラテープの鮮やかすぎるミドルシュートを食って、1―1の同点にされてしまう。前半はこのまま折り返して、後半になると寒さの中、日本の攻撃が加速する。54分にMF山瀬(功)→MF中村(憲)とつないだボールを、FW大久保が押し込んで、勝ち越し。苦しい雰囲気を振り払う。タイは退場者も出し、68分にDF中沢、ロスタイムに途中出場のFW巻もヘッドでたたきこんで、終わってみれば4―1の快勝。心配したほどでもなく、幸先の良いスタートを切る。ま、最終予選行きは間違いないだろう。問題はそこからだ。
2008.2.5.(Sel.)
小学館がこのほど出し始めた週刊の日本戦乱史シリーズ、書店で見かけていたのだが、結局きょう1巻目を買ってしまった。全50巻の予定、1年がかりで全冊買い求めた場合、1冊580円なので3万円近くかかってしまう計算になる。ま、内容が面白ければ買い続けるべし。
2008.2.4.(Isn.)
早起きしてJ○博多駅前まで出かけ、午前10時半から1回だけ放映のあるハンガリー映画(イギリスとの合作)「君の涙 ドナウに流れ」を、見に行く。1956年のメルボルン五輪で活躍することになる水球のマジック・マジャールと、ハンガリー動乱の悲劇を描いた映画。「感動の物語」などと紹介にはあったが、「感動」というプラスイメージの言葉でとらえてはいけない作品。力の弱い小国の哀しさ、その祖国に生まれ、祖国を愛する人たちの心の叫びを焼き付けた映画だ。主人公は、母親がハンガリー出身の日本のハンマー投げ選手・室○広治氏によく似ていた感じも。見終わった後、先月チェジュからの帰りに立ち寄ったラーメン店で、ラーメン定食を食す。ここのところの毒餃子騒ぎのせいか、中華系とおぼしき店員さんが、「餃子はお出ししてよろしいですか?」などと聞いてきた。
2008.2.3.(Ah.)
きょうは節分。スーパーに行ってみると、ここ数年関西から商魂に乗って伝播してきた「恵方巻」がたくさん売られていた。せっかくなので、1つ買って食す。別に今年の恵方である南南東のほうは向かなかったが。
2008.2.2.(Sab.)
ここのところ、「5th」のある日には、帰りがけにタンタン麺を必ず食している。きょうも昼飯として大盛りを食した後、帰って出社まで昼寝となった。
2008.2.1.(Jum.)
ここ3日ほど、某国から輸入された加工餃子に農薬が入っていて、数多くの人が被害に遭っていたというニュースが世間を騒がせている。スーパーなどの店頭からは、某国製の冷凍餃子などを撤去している。それはそうと、しばらく手作りの三鮮餃子を作っていない。店頭のものは買いにくくなったようだし、今度作ってみるか。
2008.1.31.(Kha.)
きょうは早起きして映画を見に行こうかと思っていたのだが、結局起きだせずに、実行は中止。まだ上映は続くようだし、次の機会に……と思ってネットで上映予定を調べてみると、なんと来週の月曜日からは午後0時50分からの回がなくなり、午前中の1回のみの上映になってしまうとか。これではますます起きだせない。結局見に行かずじまいか。
2008.1.30.(Rab.)
フットボール岡田日本代表、脳梗塞で倒れて以降初めて姿を公に現したオシム前監督の見守る中、オシム氏の出身国であるボスニア・ヘルツェゴビナと国立競技場で対戦。躍動感に乏しい前半を0―0で折り返し、またスコアレスドローがちらつき始めた67分、岡田氏の横浜M監督時代の主力選手であるDF中沢が、珍しく足でゴール。日本先制。ボスニアの足が止まり、攻撃が機能するようになった日本、途中出場のこれまた岡田横浜Mでの主力選手・MF山瀬(功)が83、88分に加点して、3―0として締めくくる。勝っただけよしだが、1月ということもあり、昨年秋ごろのチームの完成度にはまだまだ及ばない感じの日本。来年の最終予選までにどういう進化を遂げていくのか。
2008.1.29.(Sel.)
寒さが厳しくなってくると、やはり不活性。きょうも起きだしたのは午後3時すぎだった。あすは「4th」があることだし、もうちっと早く起きなければ。
2008.1.28.(Isn.)
ここのところ、えらく眠い。起き上がるのがいつも午後3時前後になっている感じ。博多駅のほうのシアターで、ちょっと気になる映画をやっているようなので、3日後あたりに見に行こうかと思っているが、これは午前と昼過ぎの2回しか上映がない。土曜日には「5th」も控えていることだし、少し早起きするようにこころがけねば。
2008.1.27.(Ah.)
天神の「カメラの○タムラ」まで出向き、修理が完了したタ○ロンA15を引き取る。これがないと、焦点距離の空白域が生じてしまうことだし、これでいつどこへ出かけることにしても安心。
2008.1.26.(Sab.)
第2次岡田政権のフットボール日本代表、国立競技場にチリ代表を迎えて初戦を行う。この時期とはいえかなり低調な内容で、後半出場のFW大久保(嘉)が見せ場を作ったものの、結局ゴールは挙がらず、スコアレスドローでの終了。W杯3次予選の初戦、タイ戦は10日後。幸先よく勝ち点3を奪えるのかどうか、4日後の親善試合ボスニア・ヘルツェゴビナ戦でのチーム状態が注目される。
2008.1.25.(Jum.)
きょう付の朝刊に、昨年ニコ○に奪われたデジタル一眼レフカメラ入門機のシェア1位を奪回するため、キヤノ○が3月に「E○S Kiss Digital X2」を発売するという記事が載っていた。この「X2」機、画素数もアップして、ライブビュー機能もついているらしい。私がデジタル一眼レフカメラを買ったのは、昨年の10月。もう半年ばかり待つべきだったのか。ちょっと損した気分を抱えつつ出社し、深夜に帰宅すると、「カメラのキ○ムラ」から、タムロ○のA15レンズの修理が完了したとの連絡が入っていた。まだ買ったばかりであったため、保証書による無償修理がきいたようだ。
2008.1.24.(Kha.)
きょうはかなり冷える。関東のほうなどでは、雪の降る激しい天気だったとか。そういえば今年は、正月にはかなり冷え込んで、鹿児島市内から見た桜島も中腹まで冠雪していたものの、まだ平地では雪を見ていないような。ここ福岡で初雪を見るのは、いつになるか。
2008.1.23.(Rab.)
昼の「4th」のあと、北天神の「○タタ」に立ち寄り、8日前に頼んでおいたスラックス2着を引き取る。これで、スーツの上だけがあって下がないという状態は、冬物に関しては解消された。ただ夏物のスラックスもすべて捨ててしまったので、また梅雨が明けたあたりにはここに来て、何着か購入しなければなるまいが。この後、「丸○」に立ち寄り、同郷の大御所作家による名作の文庫本3冊を購入。深夜まで読みふけった。
2008.1.22.(Sel.)
昼遅く起きだしてみると、きょうの東証日経平均株価はなんと、752円も下がっているではないか! きのうも500円以上下がっていたし、2日間で1300円近くも落ちた計算。サブプライムローン問題の震源地であるUSAに端を発し、他のアジア諸国や、ヨーロッパでも株大幅安が波及して、もはや「総崩れ」の状態らしい。夜には、USAが0.75%の大幅な利下げを発表して、なんとか経済の悪化を食い止めようと思い切った手を打ってきたようだが……。今年は本当に、出だしから金運に恵まれない年のようだ。11か月以上を残して、私にとっての今年を象徴する漢字は「貧」に決まりか。
2008.1.21.(Isn.)
使用しているボー○フォン(現ソフトバ○クモバイル)の犯罪者御用達前払い携帯電話に、あと1週間で360日の受信専用期間が切れてしまう旨の通知がメールで来る。仕方ないので、3000円のプリペイドカードで新たに登録。これで、60日間発信もできるようになった。出社の前に天神の「○善」まで出向き、NH○テキストの2月号を買う。今回はそれに加え、数日前に見て気になっていた「2nd」の月刊誌も購入してみる。CDも付いているし、「2nd」に関しては、これからこれが中心になるかも。
2008.1.20.(Ah.)
ここのところ、鼻がむずむずしてきて、くしゃみも頻発するように。どうやら、例の季節か。だいたい毎年2月に入ってからだったので、今年は2週間ばかり早い計算。これも、地球温暖化の影響であろう。
2008.1.19.(Sab.)
午前中の「4th」の帰りに、辛いタンタン麺の店で昼食。夕食は、きのうから作り置きしておいたカレーにしたが、S&○社の「ゴー○デンカレー 辛口」は、家庭用カレールーとしては辛さ最上位に近いはずなのだが、それでもやはり辛さが全然物足りない。これよりは、ハウ○社の「ジャ○カレー 辛口」のほうがまだ辛さがあるような気がする。仮にも「辛口」を名乗るのであれば、各社もっともっと辛いものを用意してほしいものだ。
2008.1.18.(Jum.)
きょう始まった通常国会で、O田財政経済相が「もはや日本は『経済は一流』と呼ばれる情況ではない」という演説を行ったとか。事前に事務方と打ち合わせたりしなかった、本人の意志によるものだったらしい。よく言ってくれたという感。再びこの国が国として上へと挑んでいく気概があるのか、その覚悟を問う発言であろう。ただ、個人的にビジネスやテクノロジーに携わっていない私は、全く貢献はできないだろうが。
2008.1.17.(Kha.)
深夜に帰宅してみると、鹿児島の母からメールが入っており、昨夕、弟夫婦に第一子が生まれたという。このまえ帰省したとき、男の子だとは聞いていたが。とりあえず、これで親の関心は初孫のほうに向くだろうから、こちらにはとやかく言ってこないだろう。めでたしめでたし(ただ、弟一家への過干渉は心配)。
2008.1.16.(Rab.)
今年初めて行く「4th」を終えて、会社に向かう途中に証券会社の日経平均の表示を見てみると……なんと「-462」! ものすごい急降下、ここ4営業日ほどで1000円も落ちたことになる。さすがにこのままでは困る。なんとかしてくれ、と叫びたい。
2008.1.15.(Sel.)
昨秋に買ったタム○ンのA15、その軽量コンパクトな望遠レンズという特性を生かして、ウドに行ってきた際も活躍してきたのだが、振ると何やらカラカラと音がしていた。気になっていたのできょう天神の「カメラの○タムラ」まで持っていくと、「明らかに部品が脱落していますね、修理の見積もりをとりましょう」とのことだった。買ってわずかに2か月半、3回しか持ち出していないのに……。街中の証券会社の電光掲示板を見ると、きょうも東証株価は下がっている。1万4000円台を割り込んだようだ。本当に、金運には恵まれない新年。ところで、私は仕事柄あまりスーツというものを着ないのだが、昨秋にちょっと着る機会があったときに気が付いた。私の持っているものは、14〜19年も前に買ったもので、現在ではパンツの方が腰周りに合わなくなっている。私は体形的に骨盤の辺りが張っていて、そこに肉がついたために、とにかく腰がきつすぎる。15年ほど前は4、5cmもスリムだったのに。というわけで、成人式もきのう終わり、冬物スーツも安くなってきたことだろうと推測、天神にある紳士服量販店「フタ○」に行ってみる。ジャケットはまだまだ使える(はっきり言って新品同様)ため、スラックスだけ買うことにする。2本で1万5000円ほど。めったに着ない私にとっては、それで十分。加工が終わって引き渡せるのは、20日になると言われた。帰ってから、サイズの合わなくなったスラックスは、夏用冬用ともまとめてごみに出してしまう。ほとんど着ないままで、もったいない。
2008.1.14.(Isn.)
かなり間延びしたが、きょうが全国高校サッカー選手権の決勝戦。昼に起き出して、テレビ観戦する。エースのMF河井以下、U―18日本代表に4人が名を連ねる藤枝東だが、大方の予想は全日本ユースを制した流経大柏有利。その通りに、夏のインターハイと全日本ユースとで得点王に輝いたエースのFW大前が、3人のディフェンダーを引きつけておいてから後ろへのパス、インターハイでもこのカードで決勝ゴールを挙げているMF村瀬がけりこんで、前半6分で早くも先制。その後も一方的に押したまま45分の前半を終える。後半に入ると、ゴールラッシュ。浅い角度からの大前の左足ボレーで2―0.故障を押して出場のFW上条がゴール前でもつれながら粘ったボールを、再び大前が決めて3―0。さらに、途中出場の2年生FW田口がとどめの4点目を奪い、後半も半ばあたりで勝敗は決してしまった。それでも藤枝東は、厳しいプレスをかいくぐって何とか残り時間は攻撃に出る。しかし、それほど決定的なシーンは作れないまま、ついにタイムアップ。優勝候補筆頭が、前評判通りの強さを見せて、高校日本一に輝いた。岩手や岡山の人には悪いが、昨年の決勝カードなどを考えるに、J発足から15年。この正月の高校選手権もかなり小粒になったものだと思っていたのだが、どうしてどうして。今年ここまで勝ち残った両チーム、非常に力のあるチームであった。それでも4―0なのだから、今年の流経大柏はすごいとしか言いようがない。大前は7得点で、インターハイ、全日本ユースに続いての「得点王3冠」。今年清水に入団する彼は、4、5年前に高校選手権でゴールを量産し、オランダを経て現在はFC東京所属の某FWのように、しりすぼみということにはならないでほしい。
2008.1.13.(Ah.)
ウドで買ってきた特産のピーナッツを、寝る前に食す。小粒だが香ばしい。ナッツが好きな私には、たまらない味だ。手作業で作られるという品、少々高めなので、あまりたくさん買ってこられなかったのは残念。
2008.1.12.(Sab.)
昨年末に馬祖・北竿島の戦争和平紀念公園で撮ってきた写真を会社のパソコンの壁紙にセットしていたら、これを見た同じ職場のI田さんから、「これは“パットン”ではないとや」と言われた。詳しい人というものはいるものだ。人のことは言えないが。
2008.1.11.(Jum.)
明るくなってきたのは分かったが、しばらく起き上がれず。起床したのは午前8時半すぎ。帰りの飛行機は午後0時5分発だし、もうそれほど時間がない。急いで支度をして、午前9時すぎにシンデ○ァ荘旅館を出る。きのう結局部屋から出なかったこともあり、ここがどこか定かではないが、とりあえずきのうのバス停のほうへと歩いてみる。表示を見るに、どうも終点の市外バスターミナルの1つ手前のところのようだ。ここから、きょうちょっと立ち寄ろうと思っていたトンムン(東門)市場へは、少し距離がある。タクシーに乗ろうかとも思ったが、結局歩いて行くことに。30分はかからず到着。ドンムン市場は、狭い道の両側に、地元の魚や野菜を売る店が立ち並ぶ、韓国の普通の市場だった。奥(東)のほうへと歩いていくと、やがて少し大きなアーケード街と交差した。この辺から先には肉屋が陣取っており、アーケードのところには、果物屋に土産物屋もある。土産物屋のおばさんたちが、目ざとく旅行者らしき私の姿に気が付いて、声をかけてきた。「サボテン入りチョコレート、これが15個入り4000ウォン、30個入りは5000ウォン」。それほどたくさん必要はないので、15個入りのものを1つ買い求める。そしたら、「のりはどうですか? この小さな1パックが1000ウォン」。あって悪くはないので、2パックさらに買う。午前9時40分過ぎ。市場の近くには、必ず地元の人の行く食堂があるものだ。この辺にないか、買ったついでにおばさま方に聞いてみる。「あ、それならスンデクッパプのお店が、その小道を左手に入っていった先にありますよ」、との返事。ちょうどクッパプが食べたい気分だったので、ソーセージ入りのクッパプというのはありがたい。土産物屋の中をもう少し見て、ハルバンのキーホルダー1個(1000ウォン)も追加で買ってから、教えてもらったほうへ向かう。肉屋がしばらく並んだその先は、衣料品店街になっていた。さすがに、この辺には食堂はない感じがする。引き返すと、左手にさらに小さな路地があり、ここに食堂が数軒並んでいた。さっきのおばさま方が言っていたのも、きっとここだろう。スンデクッパプの表示がある店に入り、1つ頼む。4000ウォン。クッパプの味はまずまずだったが、中に入っていたスンデの味は今ひとつだった。さて、時間は10時15分ごろ。そろそろ空港に向かうか。店を出て、トンムンのローターリーへと向かう。空港にはここからバスも出ているのだが、それほど時間に余裕がないし、まぁタクシーで行ってもいいだろう。1台を拾い、空港まで向かってもらう。10分ちょい、3300ウォンでチェジュ国際空港へと到着した。来たときは、大慌てで通過しただけの空港。ちょっとじっくり構造を見ることができる。大部分は、韓国各地からの国内線で占められており、国際線は片隅にちょこんと航空会社のカウンターと出国審査の入り口がある感じ。チェックインを済ませ、しばらくベンチに腰掛けて、出発のときを待つ。搭乗時刻は11時50分なので、その30分前くらいに出国審査に向かえばいいか。しばらく待ってふとフライト情況の電光掲示を見上げると、なんと搭乗予定の福岡行きの便が、1時間遅れるとの表示が出ている。何てこったい。もうひと時、ベンチでじっとしているのを余儀なくされる。午後0時を回り、もうそろそろ中に入ってもいいかと思って腰を上げ、電光掲示を見てまたびっくり。なんと、出発は2時間遅れの午後2時5分という予定になっている。これは仕方ない。ここに座っているのも苦痛なので、飲食店のある4階に上がり、そこの喫茶店でカプチーノ(3500ウォン)を頼んでしばらく粘ることに。カプチーノは、はっきり言っておいしくなかった。ついていない。
さて、午後1時半に近くなり、とりあえず出国手続きを済ませ、搭乗口へと向かう。この空港の国際線のスペースは小さい。搭乗口は2つあるが、出入り口は1つしかない。待合室のところには、免税店が1つと、コーヒーやうどんを出す軽食店が1つあった。軽食店のところには、30歳から50歳くらいまでの女性の従業員が数人いて、ちょっと人員的にも余ってたむろしている。そこにおいてあったチェジュみかんのビタミンあめなどの製品を見ていると、従業員のおばさまの1人が説明をしてくれた。そのうちに、何となく話し出す。ただ、私が福岡へ帰る予定だというと、その福岡行きのアシ○ナ便は、ソウルがきょう大雪のため、機材が飛んでこられないでいるという。「あなた、きょうは帰れないかもよ」と脅された。向こうで接客のため待機している、アシアナの職員に聞いてみるといいという。聞いてみるとその通りで、福岡行きの便は、インチョン国際空港から機体が来る予定だったのだが、きょうの韓半島は雪が激しく降っていて、離着陸がままならないという。機体は影も形もなく、登場予定客をとりあえずここまで入れてはみたものの、午後2時5分発という予定も、実は全くの白紙だそうだ。これは困った。仕方ないので、またさっきの軽食店に戻り、ちょっと従業員のおばさまがたに遊んでもらう。待っても待っても飛行機は来ない。何も買わないのもなんだし、途中で軽食店でオミジャ茶を1杯頼む(2500ウォン)。搭乗口には、同じように福岡行きの便を待っている人たちが当然ほかにもいた。おばさんには話しかけられる私。またまた、60歳代半ばくらいのおばさまに話しかけられる。2泊3日のツアーで、チェジュまで来ていたのだそうだ。私がウドへ言ったというと、なんかウドには非常に興味を持っていて、時間があれば行きたかったと言う。私がチェジュ島内で他に目をつけていた、マラドとカパドについても知っている。たいしたおばさん(おばあさん)だ。興味を持ってウドの話を聞いてくれるので、私の撮ってきた写真を見せる。非常に喜んで、一緒に来ていたという40歳半ばくらいの別のおばさんにも、「この人、ウドに行ってたんだって。ウドの話が聞けたよ」と報告していた。この2人は、それぞれF本さん、S山さんといい、F本さんのほうは熊本市在住で旅のベテラン、西アジアやヨーロッパ、ソ連(当時)など、世界のあちこち、私の行きたいポイントでもあるイエメンやウズベキスタンにも足を延ばしたことがあるそうだ。S山さんのほうは福岡市在住で、まだ仕事持ち。あすから仕事なのに、会社に海外旅行に行っていることは報告していない、きょう中に帰れなかったら困ると心配していた。3人で、これまでの旅の話などしながら、待ち時間を過ごす。幸い、何とか機体は到着して、午後5時ごろには離陸できる運びとなった。軽食店のおばさま方にも礼を言って、長々と過ごす羽目になったこの搭乗口をやっと後にする。行きと異なり、帰りの機内は相当埋まっていた。搭乗率90%くらいあったのではないだろうか。きょうは朝は晴れていたが、昼から雲が多くなり、夕方近くになるとかなり雨雲が垂れ込めていた。飛行中、福岡に近づきで雲の下へと降下中、青白い雷光が飛行機を襲ったかと思うと、機体は大揺れ。ちょっとひやっとしたが、何とか午後5時55分ごろ、福岡空港に着陸する。良かった、帰りつけた。入国手続きを済ませ、回転テーブルで荷物を待つF本さんたちとも別れて、シャトルバスで国内線ターミナルへ行く。ここから地下鉄で博多駅まで。バスターミナル地下のラーメン店で、ラーメン、炒飯、餃子のセット680円を食す。中華風の料理ではあるが、日本に帰ってきた実感が口にできた。そういえば、きょうも昼ごはんは抜きだったっけ。結局、3日間とも抜きだったな。バスに乗り、混雑していたため少し時間はかかったが、午後7時40分前に自宅に帰りつく。かばんの中をあさくると、黒のポリ袋の中にウドのお店でもらったミカンが2個、まだ残っていたことが判明。全部食べたつもりだったのだが……食べきったのは、きょうになってしまったようだ。
2008.1.10.(Kha.)
いつものことだが、普段の生活リズムを崩してこういう観光地にやってくると、夕食後にいったん寝入ってしまって、深夜に目覚めて、2、3時間起きていたあとまた眠るというパターン。今回もそんな感じで、起き上がったのは午前9時近くになった。きょうはきのうほど晴れてはいないようだが、かといって雨も降りそうではない。まずまずの天気。荷物の一部は民泊に置かせてもらい、きょうは歩いて島探索に出かける。まずはきのうとは逆に、時計回りに島西岸の道を北上にかかる。少し歩くと、西浜白沙のビーチにさしかかる。この辺には、ペンションが立ち並んでいる。夏はさぞかし観光客が多いであろう。ペンションに交じって、お店もいくつかあり、朝から営業している感じの飲食店兼商店を見つけたので、ここに入り朝食にする。店のおばさんに、メニューの中で一番安かった野菜ピビンバプ(5000ウォン)を頼むと、店内からも見える奥の調理場に行って、野菜を刻んで作ってくれた。たった1人の5000ウォンのため、何かちょっと申し訳ない感じもする。出来上がってきたピビンバプを食し、午前10時半すぎまでゆっくりしてから、さてまた歩き始めようかと立ち上がると、おばさんは、卓上においてあったみかんを中小合わせて10個ほどもくれた。なんとも親切。5000ウォンの食事だけでは悪いような気もしていたので、ここの商店部分で、缶入りのお茶1200ウォン、それにレジのところにおいてあったこのウド特産のピーナッツ(殻をむいてビニール袋に詰めたもの)5000ウォンを買ってから出た。しばらく歩くと、きのう船で着いたハウモクトン港に出た。ここを通過し、西海岸をさらに北上。左手には海、右手には石積みの壁に仕切られた畑、という光景がひたすら続いていく。やがて、島北端の岬へと出た。白い灯台が建っており、その隣には石積みの小高い足場がある。その上には、固定式の双眼鏡がすえつけられていた。無料で見られるもののようだ。のぞいてみるが、黄砂の影響もあり、遠いところまでくっきりととはいかなかった。ここを過ぎて、さらに歩いていく。行けども行けども、海沿いの道の右手には、石積みのへいで区切られた畑が続く。少し写真など撮っているうちに、私よりやや上くらいに見える、同じく旅行者風の男性が1人、横を通り過ぎた。私が撮影する様子などをちょっと気にして見ている。撮っているうちにへいの向こう側にレンズを取り落としてしまい、拾うのにちょっと手間取ったりしたが、私がここを撤収して先へ進むと、ちょっと行ったところにあずまやがあり、さきほどの男性がそこで憩っていた。何となく、そこから一緒に島を回ることに。やがて付属の島であるピヤンドの灯台を過ぎ、1時間あまり歩いたところで、灯台公園の絶壁の北側へと出た。ここにはリゾートホテルのような宿泊施設がいくつかあり、観光バスも何台か止まっている。ちょっとした集落のようで、島の特産品なども売っていた。お土産用にと、皮付きピーナッツの袋を1万ウォンのと5000ウォンのと1つずつ買い求める。さらに歩いていき、やがてきのうも通った見覚えのある道へ出た。左へ曲がれば灯台公園がある。ここはまっすぐ歩いて、トンチョンジン港へと至る。時刻は午後3時前。ここまで一緒に歩いてきた男性とはここで別れ、私は民泊へと残しておいた荷物を取りに帰る。民泊のおばさんが言うには、北のハウモクトン港へ行くよりも、トンチョンジンの方が近いので、そちらから船に乗ったほうがいいとのこと。引き返して港へ行くと、午後3時半発の便がまだ停泊していた。急いで乗り込み、客室へと行くと、さきほどの男性もそこに座っていた。また一緒になってしまったようだ。やがてチェジュ側のソンサン港に着く。晴れだった天気は、少し雲が多くなっていていた。港から少し歩いたところに、市外バスの停留所があった。男性はチェジュ南側のソグィポ市の方に行きたいようなことを言っていたが、私はあす昼の便で帰らなければならないので、チェジュ市まで戻ったほうがいい。男性も結局、チェジュのほうへ行くことにしたようだ。バスの本数はそう多くない。近くにチェジュの魚を売っている飲食店があり、男性が「刺身でも食べましょう」と誘ってきた。刺身を食べながら、韓国焼酎を頼む。銘柄は、チェジュ独特のもののようだ。結局名前も聞かなかったが、男性は年齢は数えで今年42、インチョンに72歳の母親と住んでいるのだそうだ。山歩きが好きで、そのためにチェジュまで来たらしい。すっかりいい気分になってきたところで、午後6時くらいに店を出る。辺りはすっかり暗くなっていた。6時25分ごろに来たバスに乗り、チェジュへ市と向かう。運賃は300ウォン。すっかり酔いが回ってきて、眠り込んでいるうちに、1時間あまりかけてバスは市街地へと入ってきていた。男性が私を小突き、「あれがトンムン(東門)市場だよ」などと注意を喚起してくれる。
男性はその次の停留所辺りで、「では」と言って降りていった。バスの中には、私ともう1人しか乗客がいない。運転手に、「あんた、どこまで行くのかね」と尋ねられた。「市外バスターミナルの近くでいいのですが……」と答えるが、あいまいな返事で、先方はちょっと気になったらしい。もう1人の乗客である中年の男性も心なしか心配顔だ。もう十分チェジュの市街地に入っているようなので、ここがどこなのかよく分からないものの、結局次に止まったところで降りることにする。もう1人の乗客も続いて降りてきて、「どこに行きたいんかね?」とか声をかけてきた。「いえ、市外バスターミナルの近くで、これから泊まる旅館を探そうと思っているのですが……」と答えると、「市外バスターミナルならあっちだよ。旅館なら、ここの近くにいくつもある」と教えてくれた。礼を言ってここを離れ、少し歩いたところにあった路地を右に曲がる。だいたい、こういうところにはモテルや旅館があるものだ。案の定、いくつか目に入った。「シ○デファ荘旅館(モテル)」という看板のところに入り、値段を聞いてみる。3万ウォンだという。相場だ。ここに泊まることにして、オンドルの利いた暖かい部屋へと入る。しかし、疲れた体に韓国焼酎がきいたのか、まだまだ眠い。午後10時半くらいまで、うつらうつらとして過ごす。その後、外に出て夕食をとるところを探そうかとも思ったが、さっきの刺身の影響もあり、それほど空腹になっていない。朝食をとったお店でもらったミカンが、まだ結構余っているので、これを残さず食べることにする。黒のポリ袋の中、5、6個ほどむいて食べる。ま、これでよし。テレビをつけてチャンネルを回すと、NH○の「そのとき歴史が動○た」をやっていたので、これを見る。その後さらにチャンネルをいじっていると、「ハク トゥエ モグン ヨンエッシ」というコミカルドラマをやっていた。小さな会社の、太目であまり美しくないOLを巡る話。はっきり言ってかなりむちゃくちゃな内容だが、結構笑えて面白かった。
2008.1.9.(Rab.)
午前7時すぎに起床し、福岡空港へと向かう。昨年末の馬祖行きから半月しかたっていないものの、今年に入ってからは最初の旅行となる。目指すは福岡からほど近い、韓国のチェジュ(済州)島。乗るのは午前10時5分発のア○アナ便、バスと地下鉄、空港内シャトルバスを乗り継ぎ、午前8時20分ごろには福岡空港の国際線ターミナルに到着する。搭乗手続きを済ませたあと、朝食にしようと4階へ上ったところ、ちょうど待ち構えていたアメ○カンエクスプレス・カードの勧誘員の若い女性につかまり、「抽選です」とかいって、くじを引かされた。シャープペンシルが当たり(外れなんてあるのか)、その後「○メックスの会員になりませんか」と強烈なアタックを受ける。私は基本的にカードショッピングなどしない主義。年会費無料のものしか持っていない。高負担充実サービスのアメッ○スは、はっきり言って私の方針と正反対。若い女性の勧誘員さん(胸の名札にはM船とあった)は、必死になって私を口説き落とそうと、アメック○カードの長所をアピールする。私もつい聞き入ってしまい、ちょっと心が動かないでもなかったが、延々20分以上付き合った末に、結局断った。悪いことしたかな。思わぬところで時間を食ったので、大急ぎで朝食。カレーモーニングが1000円近くもするというのは、いくら空港の食堂とはいえ、なんとかしてほしいものだ。チェジュ行きの飛行機は、割と小さな機体。きょうの搭乗率は30%ほどだったろうか。ほぼ定刻どおりに福岡空港を飛び立ち、1時間足らずでチェジュへと到着した。入国を済ませ、2万円を韓国ウォンに両替してもらった後、空港前に待っていたタクシーに乗って、「市外バスターミナルまで」と頼む。運転手はイ○・ユボムさんといった。日本に10年くらい住んでいたことがあるといい、結構日本語もできる。私が、今回のチェジュ訪問は、東にあるソンサン港沖にあるウドに行くことをを目的としていると言うと、自分はこれからちょうどそのあたりに戻ることにしており、どうせなら1万5000ウォンでソンサン港まで行ってあげるよと言う。日が暮れるのが早いこの季節、少しでも早く着くに越したことはない。これはありがたいので、申し出に乗ることにする。タクシーは、チェジュ市の市街地を抜けると、一般道を時速100km以上で飛ばし、バスなら1時間20分ほどかかるソンサン港のターミナルまで、40分少々で到着してしまった。時刻は、午前11時52分。ウドへいく船は1時間に1本、毎時かっきりに出る。正午の舟に乗るべく、急いで窓口へ行って切符を買う。ウドまで往復のチケットは、船賃片道2000ウォン、入島料1000ウォン、ターミナル利用料500ウォンがセットになっており、計5500ウォンだった。切符をもらうと、急いで船へと向かう。自動車が20台以上積載できるような立派なフェリー、乗客もたくさんいた。15分ほどでウドの西側にあるハウモクトン港に到着する。結構乗っていた他の旅客は、自家用車なり、港口で止まっていた観光バスなりで、到着早々港を後にしていった。私はきょうはこの島に泊まるつもり。とりあえず、宿泊先を確保して荷物を置かなければ。ハウモクトン港から、中心街(といっても大したものではないはずだが)があるという、島の中央部のほうへ続く道を歩き始める。「民泊」の表示のある割と立派な家もあったが、とりあえず先へ進んでみる。道のわきは住宅と畑とが続いているが、どれも石積みの低い壁で仕切られている。チェジュ自体が石の多い島だが、ここも石を活用した集落の風景が続いている。いくつかの住宅で「民泊」の表示が見られたが、この時間帯、人のいる様子がない。集落自体が静まり返っていて、あまり人の気配が感じられないのだ。やがて、店がまばらに存在する島中心の集落に出る。面事務所や銀行、小学校などがあったが、引率の先生に連れられて歩く児童たちを見た以外は、やはり人影が少ない。物音に乏しく、どうも寂しすぎる。ガイドブックには、この辺りに島唯一の旅館があるはずなのだが、見当たらない。なんか不安になってきたので、いったん港まで今来た道を引き返すことにする。15分ほど歩いて、どうやらまたもとのハウモクトン港へと戻ってきた。時刻は午後1時20分ごろ。私が乗ったものより1便後の船ももう港に入っていて、降りたばかりのたくさんの乗客が歩いていた。せっかく正午の船に乗ったのに、完璧に時間を無駄にしているな。港近くの民泊の家ものぞいてみるが、やはり人影がない。さて、困った。どうしたものか。迷った揚げ句、結局また来た道を戻って、島中心の集落へと引き返す。1軒、さっき来たときにも見た“粉食”の表示のあるたい焼き(プンオッパン)の店があり、この中には女性の人影が見える。すでに昼飯時も過ぎつつある、入ってみるか。「アンニョンハセヨ」。「イェ、アンニョンハセヨ」。
この後、何と情況を説明していいものか分からず、ちょっと口ごもった。すると、「あ、ひょっとして日本の方ですか」と、意外にも日本語で反応が返ってきた。私と同じくらいか若干上に見える年代の女性。聞けば、もともとソウルで生活していて、日本語を習ったこともあるが、体調を崩して、空気のいいこのウドで養生しているのだという。「チェジュには工場がないんですよ。だから、空気がとてもいいでしょう?」。確かにそうだ。私はこの島の観光に来たことを告げ、泊まるところを探している旨を伝える。すると、「それなら、紹介してあげましょうか。きれいなところですよ」という返事だった。これは渡りに船。女性は携帯電話をかけて、日本人が来ていて宿を探していると話し始めた。やがて話がつき、女性は電話を切った。目の前には、女性が焼いていたたい焼きが3個いう。せっかくなので、これを買うことにする。3個で1000ウォンだった。日本のものよりやや小型で、ぱりぱりしているがおいしかった。食べ終わったところで、女性が車で話をつけた宿へと送ってくれるという。助手席に乗り込み、宿へと向かう。いったんまたハウモクトン港のほうへと戻り、それから海沿いに少し南下したところに目指す宿、「白いサンゴ(ハヤンサンホ)民泊」はあった。3階建ての新しくて立派な建物。バーベキュー場やミニプールも付いている。中に入ると、50代くらいのおばさんが迎えてくれた。それにしても、瀟洒できれいな建物だ。全然「民泊」という雰囲気ではない。基本的に、夏には海水浴客でにぎわうペンションなのだ。だが、今はシーズンオフの冬。宿泊客は、私1人のようだ。案内されたのは、最上階3階の2方向に海の見える広くて一番いい部屋。豪華さに驚きながら、1泊いくらか聞いてみると、3万ウォンだという。たい焼き屋の女性が言うには、夏には6万ウォンとっているそうだ。つまり半額。この豪華さなら断ることもない。泊まることにする。たい焼き屋の女性は、「私は行きますね」と言って、ここで帰っていった。さて、時刻は午後2時を回ったところ。まだまだ日没まで3時間以上残っている。きょうのうちにもっと動いておこうと、荷物の一部を部屋に置いて少し身軽になり、島探索に出かける。民泊のおばさんが、ここのサービスとして無料で自転車を貸してくれるという。格納庫に何台か置いてあったが、どれもスポーツタイプの結構立派なもの。ただ、かごがついていないため、私にとっては若干不便。しかし、ショルダーバッグはきちんと背負い、三脚は左肩につるしておけば、何とか使えないことはない。1台貸してもらい、海岸沿いの道路を南へと反時計回りに走り出す。すぐに、このウドのもう1つの港・トンチョンジンドンに到着。ここからさらに、海沿いに南東へと向かう。この島は観光の島のため、ところどころに休憩できるベンチなりあずまやなりがある。しばらく進み、平坦なこの島が1か所だけ盛り上がっている部分である南部に近づいたところに、あずまやとベンチとがあった。ここでちょっと自転車を降り、前方に見える盛り上がった部分を見通す。この島・ウドは漢字では牛島と書く。島全体の形が、ウシを横から見た姿に似ているのが、その由来だという。この盛り上がった部分が、ちょうど頭に当たる。ベンチのところで写真など撮っていると、ワゴン車が1台近づいてきて止まり、出てきた中年夫婦と娘さんらしい若い女性が、あずまやへと入って腰掛けた。コンパクトデジタルカメラで記念写真を撮り始めたので、近づいて「撮りましょうか?」と声をかける。親子3人の写真を撮って、ベンチのほうへ戻ろうとしたら、「これをどうぞ」と、奥さんがミカンを勧めてくれた。普段かんきつというものを食べない私だが、受け取って、あずまやの中で一緒に食べる。なかなか甘くておいしかった。3人連れかと思っていたら、また1人娘さんらしき若い女性が入ってきた。こちらのほうがお姉さんで大学生、妹さんのほうは高校生だということだった。私は日本から来ている観光客であることを告げ、この家族旅行の一家4人としばらく話した。この後、この道を先へと進んでみるが、灯台の見える盛り上がった台地を目前にして、道は行き止まり終わっていた。海岸へと下りる小道はあったので、自転車を止めて水際には行ってみたが、どうも引き返すしかなさそうだ。ウドへ行く船の切符を買ったときにもらったこの島のミニパンフレットの地図を見てみるに、さっきのトンチョンジンドン港まで戻り、北東のほうへ進む道を行けばいいようだ。そちらへと向かってみると、やがて公園の入り口に差しかかった。両側に小さな喫茶店と商店とがあるが、とりあえず立ち寄らずに先を急ぐ。さらに進むと、やがて馬の姿の見える牧場・乗馬場へとたどりついた。ここには駐車スペースもあり、車で来ている人は、ここに止めて後は歩くようだ。
私も自転車をここに止めておくことにする。1人でちょっとぶつぶつ言いながらカメラの調整などしていると、今止まった車から降りてきていた熟年のグループの男性から、「こんにちは」と声をかけられた。さっきの独り言を聞いて、日本人だと分かったらしい。一緒に行きましょうと声をかけられ、このグループ――マンションの隣人同士である夫妻2組と、片方の奥さんの姉という5人――と、右手の乗馬場の奥に見える記念碑まで、行動を共にすることに。牧場を上っていったところにある、海を臨む小高い丘の上に、碑は2つ立っていた。1つは韓国ドラマの撮影を記念したものだったが、もう1つは、前世紀初めの日本海海戦時に日本側がロシアのバルティック艦隊を最初に発見した場所を記念したものだった。5人組は、船の時間があるからと、ここでで引き揚げていった。私は島に泊まることにしているので、日が沈むまでまだ粘れる。ここから最も高い丘の上にある灯台のほうへと、さらに歩いていく。灯台の手前には、世界の有名な灯台のミニチュアが展示されているスペースがあった。それと同時に、「竹島体験コーナー」という展示物も。相変わらずしょうもない国だ。灯台から島全体を見渡した後、さっきは連れがいたためにじっくり見られなかった日本海海戦の記念碑のところまで戻り、ゆっくり鑑賞する。時刻は午後5時近く、太陽はオレンジ色になって、チェジュの方角へと沈みつつある。自転車を止めてあるあたりに目をやると、その後方にある林の上に、おびただしい数の鳥が群れ飛んでいる。カラスだ。割と小型な感じだが、それにしてもたくさんいる。林に止まっては、また飛び立って近くを群れ飛んでいる。美しい光景だ。さて、戻るか。再び自転車に乗り、夕日が傾いていく中を民泊まで戻る。隣に飲食店があったので、午後7時すぎに出かけて、ここで夕食。基本的に焼肉店のようだ。私は1人なので、へジャンククを頼む。店の人は、外国人とみて辛くなくしてあげようかと言ってくれたが、私は辛いままでOKと返事する。やがて、辛いスープが運ばれてきた。このヘジャンククは5000ウォンという表示だったが、ご飯のお代わりとビール1瓶を頼んだら、1万ウォン取られてしまった。店は、最初入ったときにはがらがらだったが、料理を待っているうちに、10人前後のグループが2組もやってきて、にぎやかに焼肉を食べ始めた。地元の人なのか、チェジュの人なのか、それとも半島本土の人なのか……それは知らない。
2008.1.8.(Sel.)
予定外に早く帰宅できたので、あすの出発の準備にとりかかる。天気は、あさってまでなんとかもちそうな感じ。3日後から崩れそうだが、あさってが良ければそれでいいので、なんとかなってほしい。
2008.1.7.(Isn.)
先週末のNY市場がくずれたことから予想されたとおり、きょうから後場も始まった東証は大幅な下げ。出足から不景気な年だこと。この調子で続いてほしくはないのだが。
2008.1.6.(Ah.)
昼過ぎに起き、国立に舞台を移した高校サッカー選手権準決勝をテレビ観戦。第1試合、テレビをつけた時点で、千葉・流経大柏は三重・津工を6点リードしていて、そのまま終了。第2試合は、九州の隣県である山口の高川学園(旧多々良学園)が、しばらくぶりの上位進出となる静岡・藤枝東と対戦。技術に優れる藤枝東が、前半に、素晴らしいパス回しから1点を先制。力の差は明らか。後半、高川学園はボールを支配するが、藤枝東のディフェンスは、ボールを持たせながらも決して決定的な場面を作らせず。そして時折見せる鋭いカウンター攻撃、高川学園の懸命の守りもあって、追加点こそならなかったが、全く危なげなくタイムアップとなった。これで決勝の顔合わせは、流経大柏vs藤枝東に決定。ただ、今回は決勝戦は8日も後だ。以前もこんなことはあったが、これはちょっと間延びしてしまう感じで、興ざめ。
2008.1.5.(Sab.)
今年最初の「5th」のあと、帰って高校サッカー選手権準々決勝、生中継でやっていた“事実上の決勝戦”、東福岡vs流経大柏戦をテレビ観戦。午後1時すぎに帰ってきたので後半からになったが、まだ点は入ってはおらず、力のこもった攻防も一進一退で、結局0―0のまま80分が終了、準決勝進出チームはPK戦にゆだねられる。流経大柏のGKは、PKストップの名手とアナウンサーが言っていたがそのとおりで、後攻の東福岡の2人目を止め、流経大柏の4人目が止められて互角になったかと思ったのもつかの間、次の東福岡の4人目のPKもがっちり止めきって、最後は流経大柏の5人目が決めて、PK戦の決着はついてしまった。九州のチームは今回はこれで全滅。後はどこが優勝してもいいな。夜に、初めて新しいプリンタを使ってCD―ROMのレーベル印刷を試みる。見栄えのいいものが簡単にできて、満足。
2008.1.4.(Jum.)
割と早めに起き、天神まで出向いて、5日後の出発に向け銀行振り込みを済ませる。カメラのキタ○ラにも寄り、昨年末に届いていた○ヤノンEF35mmF2.0を引き取る。5日後の出立に持っていくべし。と、お金を使ったところで、きょうの東証大発会が戦後最大の大幅安だったのを知る。きのうNY原油が一時100USドルを突破したというニュースを聞いていたし、下がるだろうなとは思っていたが、これほどとは。新年早々ボンビ〜ボンビ〜。
2008.1.3.(Kha.)
午後遅く起きて、テレビで全国高校サッカー選手権の録画中継を見る。カードは、3回戦に生き残っている数少ない九州勢同士の対決、東福岡vs佐賀北。東福岡が伝統のサイド攻撃で終始佐賀北を圧倒して、3―1での勝利を収める。ただ、準々決勝で当たる優勝候補・流経大柏戦に向けて、エースのFW井上が終盤退場になってしまったのは(次戦出場停止)、あまりに痛い。きょうの3回戦を終え、九州のチームで勝ち残っているのは、東福岡1校になってしまった。今回は4強には1つも入らないのか。
2008.1.2.(Rab.)
今年初出勤の前に、昨年に続いて福岡県護国神社まで出かけ、初詣をすませる。お賽銭は50円しか投げなかったが、旅行安全のお守り(700円)とお神酒(500円)を買う。さらに甘酒1杯を頼み(100円)、出店でたこ焼き1パック(500円)。お正月早々、出費になってしまった。あすからは節約しなければ……と思うのだが、まだちょっとばかし続きそう。
2008.1.1.(Sel.)
いわゆる元日。きょうは昼前に起きて、弟夫婦が買ったばかりの新居に一家で出かける。鹿児島湾と桜島の見える高台、家はダ○ワハウスの組み立て住宅でシンプル・コンパクトな設計だが、場所はとにかくいい。新しく開発・分譲されている宅地で、周囲はまだ空いている区画が多い。土地だけ買っておけば、そのうち値上がりするかも。弟宅で寝転がりつつ、天皇杯サッカー決勝戦をテレビ観戦。地力に勝る王者・鹿島が、8分にあっさりDF内田のゴールで先制。少し緊張感はそがれた。以後、鹿島の鉄壁ディフェンスは、MF柏木を缺く広島の攻撃を寄せ付けず。ロスタイム、最後に投入された鹿島のFW柳沢が、柳沢らしい技術の高さでDFをかわし、柳沢らしくシュートを打たずに逆サイドへパス。走りこんできたこれも途中投入最後に投入MFダニーロが、角度のないところから突き刺して、2―0。勝負は決まった。鹿島、通算10冠目までは長かったが、11冠目まではすぐだった。夕方に高速バスに乗り、午後11時前には自宅に帰着する。留守番電話に、カメラのキタム○から、注文しておいた○ヤノンEF35mmF2.0が入荷しているとの連絡が入っていた。大みそかの昼にかかってきた模様。引き取れるのは、銀行預金が手数料なしで引き出せるようになってからだな。
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