福岡の離島記

the Records of Island Visits in Fukuoka

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藍島 Ainoshima

 小倉港から馬島を経て35分の別天地・藍島。とはいっても、ここも小倉北区であることに変わりはなく、小倉北署の暴力追放の看板などが設置されていたりもします。島内を走っていた車は、ナンバーをつけていないものが多かったですが。小倉に住むこと8年あまり、2002年7月に、初めて私はこの地に足を踏み入れました。
 島の南端に漁港が2つあり、小倉港からの船が着くのも、そのうちの1つです。島の住宅も、大部分がこの2つの漁港周辺に密集しています。島の周囲は13.2km、南北に細長い形をしており、ここから北の灯台まで1.5kmほどの道が続いています。北へ向かう道の入り口は相当に分かりにくく、私は島に到着してからしばらく、2つの漁港の間を行ったり来たりしてしまいました。
 そのうち、どうやらそれらしき道を見つけ(かなり小さな道でした)、その道を北へ北へと歩き始めます。道はそれほど坂があるというわけではなく、どちらかというと平坦で歩きやすかったのですが、両側とも土手になっていて、そこに草木が生い茂っているのです。おかげで、歩いている途中、右手にも左手にも海が全く見えません。島の道で海が見えないというのは、島らしくなくてちょっと興ざめでした。 島に行けばたいがい見かけるのですが、この道の途中にもやはり、打ち捨てられて野ざらしになっている車を何台か見つけました。
 そのうち、北の岬へたどりつきました。ここも小さな漁港になっています。千畳敷になっている海岸から堤防が延びており、その先に小さな灯台が立っています。そこには釣り人の方が1人、釣りにいそしんでおりました。私は灯台まで歩いていき、しばらく釣り人の方の様子など見つめていました。そのうちに何となく、釣り人の方と話をし始めていました。この人は、この場所を釣り場にしていて、2週間に1度くらいのペースで 足を運んでいるといいます。島の人ではなく、北九州本土(八幡)に住んでいる人で、どうも私と同じ船で北九州から来たようです。私が港のあたりでさまよっているうちに、通いなれた道を通ってさっさとこちらへたどり着き、釣りを始めていたのでしょう。話している間にも、魚が釣り上がります。今度は2匹かかっていると思ったら、釣り上げてみるとかなり小さめの魚でした。この2匹、釣り人の方は、あっさりリリースしてあげました。
 「ここにはネコがいつもおってな、釣り上げた魚を下手に着地させると、すぐかっさらっていきおるのよ。きょうもいたら、こげな小さな魚はくれてやるんじゃがな」
 「ここは釣り場としては、漁船がたまに通って魚を追い散らしてしまうで、それが難点なんじゃが」
 そう言いつつ、釣り人の方はクロやその他の魚を、次々に釣り上げていきました。
 ふと、浜辺の方を振り返りました。おや、釣り人の方が言っていたそれらしいネコが、堤防に来ているではありませんか。色は黒に一部が白。いかにも物欲しげな様子で、じっとこちらの方を見ています。そのうち、釣り人の方がまた小さめの魚を釣り上げました。
 「ほれ!」
 釣り人の人が、魚をほうり投げました。魚が着地するや、ネコはあっという間にそれをくわえて、消波ブロックの下へと消えていってしまいました。また釣り人の方が小さめの魚を釣り上げます。今度は私がほうり投げます。ネコがくわえていきます。そんなことが、幾度も繰り返されました。よく食べるネコだこと。
 
藍島灯台  
島の北端にある灯台一帯。
潮が引けば岩の千畳敷が姿を現す
 
 こうして灯台で1時間あまりも釣り見物をしていました。ではそろそろ、ということで釣り人の方に別れを告げ、堤防から岬へと引き返します。この1時間あまりの間に、岬では潮がかなり引いていて、たどり着いたときにはまだ大部分が海につかっていた岩の千畳敷が、すっかりその姿を現していました。


馬島 Umashima

 馬島は、小倉港から22分、藍島へ行く船が途中で立ち寄る島です。周囲は5.4km、世帯数はわずかに13(1996年時点)で、福岡県内の有人島の中では、面積も人口も、一番小さく少ない島です。すぐ隣、ほんの200メートルほどへだてたところに、山口県下関市領の六連島があります。北九州市と下関市とは、関門海峡をはさんで密接な関係を持っている街同士ですが、 所属する島同士もまた、このようにすぐ隣り合っており、きっと漁民の方々は所属する県や市の違いということを考えることもなく、自由に行き来ができるのでしょう。これだけ近いのですから、どうせなら両市の市営渡船もお互い六連島、馬島に寄ればいいのにと思うのですが。
 
馬島  
砂浜や岩場のある北側の海岸。
石油タンクの位置する向こう側は六連島
 
 島は全体に平坦な地形なのですが、ところどころ盛り上がった部分もあります。島民の方々は、畑作を積極的に行っているようで、そのちょっとした丘陵地にも畑が造られています。私が2002年9月に訪れたときには、主にねぎのような作物が植わっていました。島内の小さな道をたどって奥まで進んでいくと、そういう切り開かれた畑を終点に道が終わっているということもあり、その場合はそこから引き返さざるをえませんでした。 海岸線は、千畳敷になった岩場あり、浜辺ありで、そこではカニやヤドカリが戯れ、それに何やらよく分からない透明な色をした魚が泳いでいました。
 本当に小さく、ちょっと歩いて回るのに手ごろな大きさの島です。また狭いながらも、本当にあちこち畑が作られており、この島一番の高台(らしきところ)も、やっぱり畑。その畑の中から、すぐ隣の六連島や小倉港、それに海上を行き交う船が、きれいに見渡せました。3時間ほどの滞在でしたが、何となく藍島よりも楽しむことができた島でした。


地島 Jinoshima

 玄界灘に臨む玄海町(現在は宗像市)・鐘崎漁港沖に浮かぶ周囲9.3kmの地島。漁業に次ぐ島の産業としてツバキ油の製造を行っており、玄海町のウェブサイトを見て仕入れた情報によれば、1〜2月には島に自生するヤブツバキが見ごろになるという話でした。そのため2003年、2月上旬というこの冬の時期を選んでここを訪れることにしました。
 島には泊と豊岡という2つの集落があります。鐘崎から船に乗って、南側にある泊地区に到着。ここで降り、島の遊歩道を歩いて、北西にある豊岡地区を目指すこととします。天気は非常に良く、海辺だから寒いかと思ってダウンジャケットを着てきたのですが、汗ばむくらいでした。
 遊歩道は、非常によく整備されていて、とても歩きやすいものでした。道には、スミレをはじめとした青や黄色の小さな花が咲いており、暖かくなった気温ともあいまって、春の風情を感じさせてくれました。坂になっている道を歩いて、まずは遠見山展望台に到着。ここでひとまずゆっくりしたあと、さらに険しい坂を越えて、より高みにある沖ノ島展望台へ。道中、私と同じ船で同じようにピクニックに来ていた おばさんたちの3人グループがいて、抜きつ抜かれつとなりました。展望台から見る女人禁制の神の島・沖ノ島は、海上にやや雲が垂れ込めていたため、少々ぼやけていました。この沖ノ島展望台から豊岡の方へ少し下った辺りには、ヤブツバキの原生林がありましたが、赤い花はまばらにしか見られず、期待した割にちょっと拍子抜けの感でした。
 
地島  
訪問客向けによく整備さている地島。
遊歩道の途中には、ほのぼのとした句が記された札もつり下がっていた
 
 そのうち、豊岡地区を過ぎ、島のもう1つの高台に上って引き返した後、島北端の倉瀬展望台へ到着。芝生が敷き詰められ、きれいに整備された展望台は、灯台島、航行する船、さらに「とっくりせ」という島の奇岩が見渡せ、大変気持ちの良いものでした。抜きつ抜かれつでやってきたおばさんたちの3人グループは、ここでレジャーシートを広げ、持ってきたお弁当を食していました。
 ひとしきり滞在した後引き揚げ、豊岡へ引き返し、船を待ちます。引き返す途中、うららかな天気の中、菜園のような小さな畑で農作業に励む島のおばさんに2回出くわしました。会釈すると、向こうから「こんにちわぁ」と明るい返事が返ってきます。なかなか気のいい人たちのようです。
 豊岡の渡船場へ着きましたが、まだ少し時間がありました。波止場のあたりをぶらぶらして、たくさんいるカモメの動きなど見ていますと、発泡スチロールに入れられた大きなイカを手押し車に乗せた、漁師姿のおばあさんが声をかけてきました。島についてのいろんなことを、話しかけてくれます。
 「筑前大島と違って温泉はなかけど、人の気はいい島でなぁ」
 「4、5月の晴れ渡った日にゃ、こっから壱岐まで見通せっで」
 「来月になれば『ツバキ祭り』があっで、そんときゃ玄海町から特別に人が大挙して来っで、炊き出しとかするとよ」
 優しくて話好きのおばあさんでした。島の人たちの気がいいということは、さっきの畑の人たちの振る舞いからもうなずけます。このおばあさんは名を「あべ」といいました。豊岡地区では唯一の民宿を経営していて、一度は他の民宿と同じく経営をやめてしまったけれど、役場からどうしてもと頼み込まれて、2年前から再開しているといいます。
 「今度は泊りがけでこの島に来ますよ」
 出港時間まであと5、6分。そろそろ船に向かおうかと、おばあさんにいとまを告げて(無責任な発言か?)、すぐ先の渡船場へ向かいます。が、20歩ほど進んだところで、後ろからおばあさんに呼び止められました。
 「ちょいと。ちょいと」
 なんだろうかと、振り向き、引き返します。おばあさんは、すぐ目の前にあった漁港の冷蔵庫の扉を開けようとしています。
 「今入れられたばかりの魚があっでよ」
 おばあさんは門扉を開いて、私を冷蔵庫の中へ案内してくれました。隅の所に積み重なった発泡スチロールのトレーがあり、その上にタイ(だと思う)が数匹載っています。
 「これこれ、運び込まれたばかりで、まだ生きとっでよ。見ていきんしゃい」
 おばあさんがしっぽをつかむと、鮮やかな朱色のタイは、勢いよく左右に体を波打たせました。


能古島 Nokonoshima

 博多湾に浮かぶ周囲9kmの島・能古島。100万都市である福岡市の西区に所属し、作家・檀一雄が晩年を過ごした旧宅や、花と緑の記念公園「アイランドパーク」などがあり、福岡市民にとって自然の残る手近な憩いの場となっています。渡船も、同市姪浜にある港から、2008年現在で平日23便(日祝21便)も出ており、大都市と島とを10分で結んでいます(海上タクシーもあり)。
 ここを最初に訪れたのは、まだ北九州市に住んでいた1997年の1月でした。ほんの2、3か月前に買った初めての一眼レフカメラの、何度目かの出動先として選び、出かけました。ただ帰りがけ、確か渡船場の近くで平成版「モ○ラ」上映中のポスターを見かけて心が動き、そのまま博多の映画館に立ち寄って、観賞して帰った記憶があります。このとき印象に残ったのは、能古島よりも映画のほうでした。
 時は流れ、それから9年8か月。すでに福岡市に転居していた私は、大阪から来訪する知人・Y田氏に福岡を案内することになりました。意外と見るべき観光スポットのない街のため、どこに連れていこうか……と思案した挙げ句、能古島にしようと決めました(何せY田氏は、沖縄・南大東島で知り合った人間ですし)。
 Y田氏を連れてしばらくぶりに来てみると、島の港近くには、島の鮮魚をさかなに港を見ながら酒が飲めるような居酒屋が、いくつも並んでいました。以前はなかったか、これほどではなかったと思うのですが……。福岡へ戻る船は午後10時すぎまであることですし、新鮮な魚と海辺の雰囲気を求めて、島へ飲みに来ることもできるようです。
 しばらく島内を歩き、島の中央部にある標高200メートル弱の展望台へと向かいます。行き着いた展望台は、なかなか立派な建物でした。これも、前にはなかったような気がします。辺りを見回してみると、隣に整備しかけの土地があり、岩石の野外テーブルと切り株のいすが置かれ、重機がその横に止まっているのが目に入りました。このへんは、ちょっとした公園へと整備されつつあるようです。多数の来島者がいて、かつ年ごとに増えていく島。観光設備も、それにつれて充実していくのでしょう。
 さて、建物の階段を上って展望所に出てみます。眼下に広がる博多湾、玄界島、志賀島、福岡市街地……秋晴れの青い空の下、これらが鮮やかに一望できました。この展望の素晴らしさは、これからも変わることはないでしょう。
(2nd visit : 2006.9.24.)


小呂島 Oronoshima

 小呂島は博多港から北西に44kmの玄界灘にぽつりと浮かぶ、周囲3.3kmのひょうたん形の島です。島のまわりは良い漁場になっていて、すぐ近くにある大消費地である福岡に、新鮮な魚を供給しています。福岡では、「小呂島漁協直送」を売りにした居酒屋もあったりします。
 福岡市や近郊各市に所属する他の島々よりも陸地から遠く、西区にある姪浜港から定期船で65分もかかります。それも1日に1〜2便で、島には宿泊施設もないため、若干アクセスしづらいところではありますが、ワールドカップフットボールドイツ大会まっただ中の2006年6月半ば、定期船が2便ある土曜日に、ちょっと訪れてみました。
 到着した漁港。歩いてすぐのところに、200人あまりの島民が豊漁を願う神社があり、ここから標高の高い島中央部へと向かう道が続いています。斜面には畑がたくさん作られており、花や作物が植わっていました。各住宅には、たまねぎがつるされています。ネコも多く、あまり人を恐れません。小道を上っていく途中、道端にウニの殻が干されているのを見ました。 これはいったい何に使うんだろう……と思って、そばを通った畑仕事の格好をしたおばさんに聞いてみると、
 「ああ、これ? 肥料にするとよ」
ということでした。おばさんは鎌を持っていて、道端でちょっと立ち止まり、なにやら草のようなものを刈ったりしています。これは、少し旬は過ぎているけれど、食べられる植物なのだということでした(具体的な名前は忘れました)。
 道を引き続き上っていくと、やがて島のほぼ真ん中に位置する小中学校へと出ました。ちゃんとした道はここで終わり、この先は森の中にわずかに野道が続いています。進んでいけば、旧海軍望楼跡があるはずなのですが、森の中、道の続く先にあったものは、写真で見たものとはなんか違う感じの古い構造物でした。
 引き返して、島東岸の岩場に降りて休憩します。もう特に何もしようとは思いません。十分に休んだあとに岩場を後にし、漁港へと向かいます。停泊している島の漁船はどれも立派で、ピカピカしたグラスファイバー製。やはり福岡市に属する島。売り込む先がすぐ近くにあることで、漁民の方々の収入もあるのでしょう。
 漁港で出会った、昔パイロットをしていたというおじさん(島外の人)と長話をしたあと、船のほうへと向かいました。船の前には、島でとれた鮮魚や野菜、びわなどを即売するテントが張られていて、そこで小学校高学年か中学生かくらいの島の子供たち(主に女の子)が、船に乗って福岡に戻る人たちに、威勢よく声をかけていました。
 
販売テント  
特産品の販売テントで、鮮魚や野菜などを船に乗る人へと勧める島の小中学生
 
 「さぁ、島でとれたサバにアジですよ。街で買ったら倍はしますよ。ご家族に、今夜の夕食にどうでしょう」
 活力ある漁業の島。子供たちもはじけています。本当にとても元気な島なのです。


姫島 Himeshima

 九州一の大都市・福岡市から市営地下鉄・JRに乗り、30分進んだところにある筑前前原駅で下りると、その北方には、手付かずの自然がたくさん残っている糸島半島が広がります。姫島は、その西方の海上に浮かんでいます。私が訪れたのは、2004年4月のサクラが落花さかんなころでした。前年の暮れに福岡市に引っ越してきて迎えた最初の春、最初に訪れた近隣の島が、周囲3.8kmのこの島でした。 私の新居のすぐ近くには、江戸末期の歌人で勤王家の「野村望東尼」の山荘だった場所があり、そこが公園にも字名にもなっています。この姫島は、望東尼が勤王の志士達をかくまった罪で島流しになった先でもあります。新しい気分で出かける先として、何となくふさわしい場所のように思えました。
 JR筑肥線乗り入れの福岡市営地下鉄に乗り、筑前前原駅まで。そこからバスで志岐港へ向かい、午前11時45分発の船で姫島へ到着しました。落花盛んなサクラをはじめとして、いろいろな花が路傍や山、住宅の庭先に咲いています。島の人なのか、島外から来ているのかは分かりませんが、船が到着した港そばの公園には、遊んでいる幼い子供たちや親子連れの姿が見られました。 目の前には保育園もあり、子供の割といる活気のある島のように見受けられます。しかし、漁港の方は人もまばらで、数人作業をしているおばさんの姿が見られるものの、どちらかというと閑散としている感じです。アンバランスさを感じながらも、割ときれいな円錐形をした島の、西側の方の道へと分け入ってみました。
 歩き出してまもなく、さっきの公園で遊んでいた小さな女の子たち3人が、「おばあちゃ〜ん」と言って、背後からやって来ました。子供たちが声をかけた先、道の前方へと目をやると、子供たちのだれかのおばあちゃんであるらしい年取った女性の姿がありました。子供たちは私を追い越しておばあちゃんへと駆け寄ります。女性は子供たちを迎え、「きょうは休漁日だから……」 などとにこやかに語りかけました。
 休漁日か、納得(給料日の間違いではないでしょう)。漁港に人が少ないのはそういうわけだったのです。島でただ1つの売店も、ちょうどきょう(第2土曜日)が、月に1度の休みになっていました。訪れた日が、ちょうどこんな日だったとは。
 西側の道をさらに進むと、やがて小中学校に行き当たり、記念像の建つ野村望東尼の獄舎跡も少し道から中に入ったところに見つけることができました。道はもう少し続いており、なにやら工事をしているらしき人たちもいます。学校の先へとさらに進んでみましたが、やがて道は行き止まり、海岸の岩場になって終わっていました。この島は1周する道はないといいます。ここから元の 漁港まで引き返しました。
 
野村望東尼像  
幽閉されていた獄舎跡の御堂前に建つ野村望東尼の像
 
 引き返したところで、これからどうしたらいいか、何となく途方に暮れました。漁港に人気はなく、売店も閉まっています。さっき来たときまで作業をしていた人も、いなくなっています。少し寂しい風景です。東海岸沿いに歩いてみようかとも思いましたが、また行き止まって終わりになるのが分かっているので、やめました。
 手持ちの島の資料を見直してみます。すると、きれいな円形をしている島には、この漁港のあたりから、島中央部の最も高いところへと森の中を縫って進む道があるようです。道は島の神社を通っているようなので、少し小高いところにある姫島神社まで登ってみます。境内をぐるりと回ってみましたが、さらに上に行けるような道は見つかりません。ちょっと当惑しつつ、もう一度境内をぐるり……あった、ありました。 神社の向かって左側をかすめるように、けもの道のようなほんの小さな道が、森の中へと続いています。頂上を目指して木立の中を、上へ上へと進み始めました。
 小さく、なかなかワイルドな道です。生えている草をかきわけ進むと、途中、倒れてきた木や竹が行く手をさえぎっているようなところもありました。かれこれ30分ほど歩き、どうやらやっと頂上です。鏡山・遠見番所跡。1本の木に、「標高187メートル」の表示が打ち付けてあります。ここにはベンチ2つが置いてあり、糸島方面の海を眺めることができました。残念なことに、若干雲がかかっていて、 くっきりとした風景は楽しめませんでしたが。


 
 ▼九州福岡島めぐり 
http://www.yado.co.jp/sima/simaindex.htm


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