広島の離島記

the Records of Island Visits in Hiroshima

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因島 Innoshima

 尾道の沖、向島の南に浮かぶ因島は周囲31.8km、瀬戸内海のほぼ中央に位置する島です。現在では広島・尾道から愛媛・今治へと島伝いに橋がかけられており、その風光明媚な「しまなみ海道」の一角をなしています。
 ここはまた、室町から戦国時代にかけて勇名をはせた「村上水軍」の発祥の地であり、水軍にまつわる数々の品や伝統行事が今に受け継がれています。
 広くて(面積約35平方キロ)人も多く(人口2万6000ほど)、見どころも多い島なのですが、私は2006年の9月に魚島へと出向いた折の行き帰りに、拠点となったこの島の土生港周辺に立ち寄っただけで、じっくりとは味わっていません。あしからず。
 
土生港 
弓削島・魚島方面への船が発着する土生港の桟橋
 
 この土生港の建物はなかなか立派なもので、1階には瀬戸内らしく讃岐うどんの店も入居していました。福岡からの夜行バスで朝方に尾道へ着き、そこからまたバスでしまなみ海道を通ってここまでやってきた私。いちおう朝食は尾道でとってはきたのですが、魚島への船を待つまでの間、ここで海と島影を見ながら軽く食べたうどんの味は、その風景ともども、私をなごませ、さわやかな気分にしてくれるものでした。


阿多田島 Atatajima

 阿多田島は、広島県西部の大竹市沖に浮かぶ、周囲11km、面積2.41平方キロの島です。ひたすら暑かった2007年の真夏、広島の日を翌日に控えた8月5日に訪れました。
 ただ、ここに行くことを思い立ったのは、出かけるほんの数日前のことでした。急にその気になったため、交通機関の乗り継ぎを調べた以外、ろくに準備もしないで出発しました。そのため振り返ってみると、失敗と後悔を重ねてばかりいたような気がします。
 出発の日、仕事から帰って深夜2時すぎに床に就いたものの、なかなか眠ることができず、やっと眠れたと思ったら、あっという間に朝5時半の起きる時間になってしまいました。さっと身支度をして自宅を出、日曜日、大通りの停留所に最も早くやって来る5時45分のバスに乗り込みました。しかし、これが最初の失敗でした。このバスは、この通りを走る大方の路線とは異なり、J○博多駅には行かないやつだったのです。繁華街・天神を過ぎたあたりで、博多駅方面へ向かっていないことに気がつき、「対馬小路」停留所の1つ先で降りました。ここからだと駅までは結構距離があり、乗る予定の新幹線の時間に遅れまいとあせりながら、2km足らずを早足で歩く羽目になりました。結局、駅に着いたのは6時25分ごろ。ほとんど睡眠が取れなかったうえに、電車に乗る前に余計な体力を使ってしまいました。
 新幹線と在来線を乗り継いで、広島県の大竹駅へ。ここからタクシーで市内の小方港へと行き、午前9時30分の船で阿多田島へ渡ります。夏の真っ盛り、なかなか立派な大型のフェリーには、釣りに行くらしい中学生くらいの男子4人組、同じく釣りに行くらしい親子連れ3人組、海水浴かキャンプに行く感じの若い男女6、7人組、ウォーキングに行くという高齢の男性2人組といった人々が乗り込んでいました。
 ウェブ上で事前にイラストマップなどは見つけられず、またフェリーの発着場にも島に関するパンフレット類は置いていなかったため、地図は手元にありません。島へ着いて、釣り人のいる岩場などをちょっと見た後、道は分からないけれどそんな大きくもない島、とりあえず歩き出せばなんとかなるだろうと考え、集落の間を通る道を反時計回りに進み始めました。
 太陽がぎらぎらと照りつける真夏日、外にいるだけで体力を消耗するのですが、住宅や畑の間を延びる小さな道は、かなりきつい上り坂になっています。ふうふう言いながら上っていきました。途中でわきのほうに、舗装されていない道を見つけたので、そちらにそれてみます。畑の間を先へ進むと、道はやがて元の舗装道路へと合流していきました。舗装道路に出る少し手前のところ、足元の地面で“かさこそ”とかすかな音を立てて動くものがありました。見ると、それは黄土色をした小さな小さなカニでした。そういえばこの島では、シーズンになればこういったカニがたくさん見られると聞いたことがあります。今はその時期ではないのでしょうか。私が滞在中に見かけたカニも、結局この1匹だけでした。これも振り返ってみると、ちょっと損をした気分です。
 舗装道路をしばらく進むと、やがてY字路に出て、そこには標識が立っていました。左へと鋭角に曲がる道のほうを示して、「海の家あたた 750メートル」とあります。こちらへ進むと、若干後戻りする形になると思いましたので、私は左折せず、まっすぐ進むことにします。道は上ったり下ったりしながら、山の中を曲がりくねって延々と続いていました。40分ほども歩いた後、やっと海辺へと出てきました。ここには島民手作りという雑草の生い茂ったグラウンドがあり、壊れたサッカーゴールの枠や、赤い塗装のはげかかった木製のベンチが置かれていました。堤防の向こう側の砂浜には、遊泳客の姿があります。
 ここにたどりついたとき、すでに私は相当消耗してしまっていました。ほとんど寝ないで早起きして、電車に乗る前にも体力を使い、さらにこの炎天下、アップダウンの激しい島の道をここまで歩いてきたのです。けっこう限界です。正午に差しかかろうかというこの時間帯、雲がやや多くなって日がわずかにかげったのを幸い、私はグラウンドのおんぼろなベンチの上に寝転び、帽子とハンカチで顔を覆って、仮眠をとり始めました。寝ている間、首の辺りを中心に焼け付く太陽光線を感じましたが、時折風も吹いてきて、それは肌に心地よいものでした。
 もういいかなと思って起き上がったときには、午後1時半を過ぎていました。首の辺りがひりひり。相当太陽光に焼かれてしまったようです。さて、動かねば。今来た道を戻ろうと思って歩き始めると、通りかかったバイクの島民らしきおじさんが、戻らず先へと進んでいったほうが集落に近いと教えてくれました。助言に従い、反転して先へ進むことにします。
 しばらく歩くと、入り江へと出ました。海面には、養殖のいけすがいくつか浮かんでいます。ここからはさらに上り坂。仮眠はとったものの、あまり回復しなかった体力を振り絞って歩いていきます。このへんの道の左右は木立になっていて、左側が海なのですがほとんど見えません。ただ、直射日光をさえぎってくれるので、この季節は人に優しい木々と言えそうです。ここを歩いていく途中、2、3か所で、木立の陰にベンチが置いてあるのが目に入りました。

木立のベンチ 
阿多田島北部の道。猛暑の中、木立の中に置かれたベンチは涼しげ
 
 「しまった。昼寝をするのなら、さんさんと直射日光が当たるあの浜辺の空き地でよりも、ここまで歩いてから木陰のベンチでしたほうが良かったか」
 そうはいっても、後悔は先に立ちません。そのまま歩き続けたところで、やがて眼下に集落が見えてきました。船着場も見えます。ほっ。どうやら島をほぼ1周して戻ってきたようです。
 途中、持っていた飲み物はとっくに尽きてしまっていたので、集落につくやいなや自販機で350mlの炭酸飲料を買い、一気に飲み干してしまいました。さらに、500mlのお茶も買って、少し飲みます。汗だくのなか、やっと少し人心地がつきました。
 時刻は、午後2時半すぎ。乗ろうと思っている帰りの船は、午後3時50分発です。もう少し時間があるのですが、体力の方がほとんど消耗しきっています。とりあえず、船着場からほど近いところにある連絡橋を渡って、近接する小島・猪子島に上陸しました。特に見るべきものはなく、橋の近辺をちょこっと歩いてから、すぐに引き返します。
 さて、ここまで島をぐるりと1周してくる間、結局「海の家あたた」のほうには行きませんでした。また、この島にあるという「灯台資料館」は、海の家に近接したところに位置していたような気がします。行くためには、もう1度かなりの標高差のある坂道を上って、あのY字路に出なけばなりません。せっかくだから行くべきか。それとも、もはや時間的にも厳しいので、もうあきらめるべきか……A型の性格が出て迷ってしまいましたが、こうしている間にも時間はたってしまうものです。
 「えぇい、迷っているより動こう」
 私は意を決して、再び坂道を上り始めました。もはや尽きかけた体力で上へ上へと歩きます。先ほどの舗装されていない道と合流する地点まで、なんとか上ってきました。
 「そうだ、さっきはここからこの道に出てきたんだっけ」
 暑さと疲れの中、そのくらいの思考が働きました。同時に、道は確かこの先Y字形の交差点へと出て、そこから海の家まではさらに750メートルという表示があったことも思い出されました。
 「や〜めた」
 帰りに乗る予定の船が出るまでにはまだ1時間ほどもありましたが、私の体力も気力もここで限界を迎えてしまいました。阿多田島の魅力を心ゆくまで味わうことができないまま、なえてしまった私は重力に導かれて坂道を下っていき、船着場に座り込んで帰りの船を待つことにしたのでした。


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