鹿児島の離島記

the Records of Island Visits in Kagoshima

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上甑島 Kamikoshikijima

 薩摩川内市の西海上に浮かぶ甑島列島。上甑島は、その主要3島中の最も北方に位置し、周囲は81.1km。「甑大明神橋」「鹿の子大橋」という2つの橋によって、南方の中甑島と結ばれています。
 私がこの地を訪れたのは、例年よりかなり早めに梅雨明けしてすぐの、2008年7月上旬のことでした。フェリーで、上甑島南西部にある中甑集落に上陸。その日は中甑島を中心に見て回り、民宿で1泊した翌日、中甑集落から東部にある里集落を目指して、この島を歩き始めました。いったん遠回りして北西部のほうへ向かい、景勝地である「長目の浜」の砂州を横断したうえで里までたどり着き、そこから高速船に乗って本土へ帰ろうというもくろみです。
 中甑を出発したのは、午前8時40分ごろ。出発の前に、すでに開店していた集落のお店に入り、200mlくらいのコーヒー牛乳と500mlのお茶のペットボトルを買います。コーヒー牛乳は、その場で一気に飲み干してリフレッシュ。お茶のペットボトルのほうは、携帯用の飲料としてバッグに忍ばせ、歩き始めました。
 まずは北上して、小島、瀬上といった小さな集落を過ぎていきます。やがて直進する道は終わり、T字路へと出ました。ここの目の前のがけ下が、「なまこ池」。全長4kmに及ぶ長目の浜の砂州で海と隔てられた3つの池のうち、最大のものです。ここを左へ曲がれば、その先に長目の浜の入り口となる展望所があるようです。少々距離はありますが、そちらへと足を向けます。
 しばらく歩いて、その「田ノ尻展望所」へと到達。眼下に、長目の浜の美しい風景が広がっています。しかし、ここへ来たころ、私は強烈なのどの渇きを覚えつつありました。ペットボトルのお茶を少しばかり飲んでみたものの、とても足りません。ごくごくっと全部飲んでしまいたい衝動にかられますが、先のことを考えてぐっと我慢します。水分を大量に摂取し続けなければ、とても耐えられない日本の夏のあの蒸し暑さ。直前に梅雨が明けたばかりで、私は今年はまだ、それを体験していなかったのです。そして、雲がほとんどない青空の下、ギラギラとした太陽が高度を上げるにしたがって、その殺人的な暑さが襲いかかってきたようです。
 「これはまずいな。もっとドリンクを買ってくるんだったか」
 後悔したものの、あとの祭りです。面積がある割には人口密度はそれほど高くない上甑島。集落の中心部以外は、そう開けているわけではありません。ここまで歩いてくる道すがら、自動販売機も全く見かけませんでした。目指す里の集落は、ここから10km以上も離れたところにあります。時刻は午前10時40分過ぎ、これからが最も暑くなる時間帯だというのに、果たしてそこまでもつのでしょうか。不安に取りつかれながらも、まずは展望所から長目の浜へと下りていき、この砂州を踏破にかかりました。
 砂州は、1つ10cm前後の大きさの丸い玉石で構成されており、1歩進むとじゃりっと音がして、足元が少し崩れてへこみます。かなり歩きづらい地盤でした。しばらく進んだところで、右手にあるなまこ池のほとりに出られる場所がありました。
 
なまこ池 
「なまこ池」。全長4kmに及ぶ「長目の浜」の砂州で、海と仕切られている
 
 観光案内板の表示で読んだ記憶によれば、この池の水は海水が入っていて塩辛いはずです。ためしになめてみましたが、やはりしょっぱい味がしました。長目の浜へと戻り、玉石の上を先へ先へと進んでいきます。炎天下、大過なき長い道ではありましたが、途中には紫色のハマヒルガオのほか、この甑列島のシンボルともいえる花・カノコユリが、赤紫またはオレンジの花をつけており、時折見かけるたび、私の目を楽しませてくれました。
 すっかり高く昇った太陽はさんさんと照りつけ、私ののどの渇きは次第に激しくなります。辛抱しながら、足場の悪い玉石を踏みしめ進んでいったところ、どうやらさしものこの長い浜も終盤へと差し掛かってきました。右手には、先ほどのなまこ池とは別の池である「貝池」があります。
 この貝池は、世界でも3か所でしか見つかっていない30億年前のバクテリア「クロマチウム」が生息しているという、学術的にも貴重な場所です。ただそれはそうと、今の私にとって大切なのは、その水質。やはり案内板で読んだ記憶によれば、なまこ池とは異なり、ここは淡水であったはずです。池に近づける場所があったので、ほとりに立って池の水を手に乗せ、すすってみました。かすかに塩の味がしたような気もしますが、おおむね真水でした。
 「こ、これは飲める」
 助かりました。ペットボトルのお茶は、すでに350mlほどに減っており、とてもではありませんが最後までもたないところだったのです。
 水辺に腰掛け、何杯も何杯も、手ですくってはごくごくと飲んでいきました。30億年前のバクテリアもきっと、それと同時に私の体内に吸い込まれていったことでしょう。
    ◇
 ここから里の集落までは、起伏のある道のりがさらに7、8kmあり、私の命綱ともいえるペットボトルのお茶は、5kmほど進んだところで完全に尽き果てました。耐え難い暑さと渇きから疲れも限界に達し、路上の木陰で大の字に寝転がって、休息をとったりもしました。午後3時過ぎ、もともとそれほどでもない体力が限界に近づく中、何とか里までたどりつき、集落の外れにあったパチンコ店の冷房の効いた内部へと転がり込んだときには、これで助かったという思いでいっぱいでした。

 ▼甑島観光協会 http://www.koshikijima.net/


中甑島 Nakakoshikijima

 薩摩川内市の西海上に浮かぶ甑島列島。その主要3島の1つである中甑島は、その名の通り3島の真ん中に位置し、周囲は17.4kmで最も小ぶりな島です。「甑大明神橋」「鹿の子大橋」という2つの橋によって、北方の上甑島と結ばれています。
 当初私は、最もコンパクトで動きよいと思われたこの島に泊まるつもりで、串木野港からのフェリーが寄港する「中甑」という集落の民宿に電話を入れたのですが、予約をとった数日後になって気づきました。まぎらわしいことに、「中甑」という集落は、中甑島ではなく、上甑島の南部に位置しているのです。現地の人は、中甑島のことは一般に、ここの集落の名である「平良」と呼んでいるということでした。
 というわけで、勘違いしていた私。当日はフェリーで上甑島の中甑集落に上陸し、民宿に荷物の一部を置いた後、まずはこの日のうちに中甑島を見ておこうと、南に向かって歩き始めました。道すがら、甑島の象徴・カノコユリが、ちらほらと赤紫の花を咲かせていました。若干時期が早かったため、まだつぼみの状態のものが多く、期待したほどの華やかさはありませんでしたが。
 中島というごく小さな島をはさんで架けられていた甑大明神大橋、鹿の子大橋は、どちらも立派で堂々とした橋でした。橋の前後には、これまたきれいに整備された展望所や公園が点在し、中甑島に入ってすぐのところにあった公園では、橋の建設にも携わったという上甑島の地元土建業者の人が2人、降り注ぐ太陽光線の下で草刈りに従事していました。
 天下の土建国家のなかでも、江戸時代の雄藩であった薩摩藩以来の伝統で、官の力が強い鹿児島県。甑島列島も、公共事業の“恩恵”に浴している部分は大きいのでしょう。中甑の港に着いたときには、フェリー待合室の建物の前に立つ標柱に、「甑はひとつ」という標語で、中甑島―下甑島間の早期架橋実現を求めるメッセージが大書されているのを目にしましたし。目の前の2人の作業員さんたちは、やがて草刈りを中断し、公園のあずまやで休憩に入りました。私も隣に座って話を聞かせてもらいましたが、中甑―下甑間の架橋については確かに建設の話があり、行政=官のほうで着実に具体化が進められつつあるということでした。
 この後、平良トンネルを抜けて、さらにしばらく歩いたところで、「烏帽子山展望所」へと向かう分かれ道がありました。右へ曲がっていけば展望所。ここは、さっきの作業員さんも、極めて見晴らしのいいところだと言っていました。しかしここはとりあえず、もう少し海沿いに直進して、平良の集落を目指すことにします。ほんの少し進んだところで、右手にちょっとした設備があり、人がいることに気が付きました。
 「ん、何だろう?」
 そこにいたのは、腰の曲がったおばあさん。よろよろしながら容器に水を汲んで、手押し車の上に載せていました。どうも、ここは天然の水場のようです。沢からパイプが延びており、蛇口のついた青いバケツにつながっていました。おばあさんの動きがあまりにおぼつかない感じなので、近づいて声をかけてみました。
 「あの、手伝いましょうか?」
 「いやいや、大丈夫よ」
 おばあさんは、私の申し出は断りましたが、この水場についてちょっと教えてくれました。
 「日照りが続いてほかの水源がかれたときも、ここだけは水がかれたことはないんじゃ。ここの水、あんたも飲んでいくといいよ」
 
水場 
かれることがないという中甑島・平良集落近くの水場
 
 おばあさんが去った後、私も水場のバケツの蛇口をひねり、山からのわき水でのどをうるおしました。折しも、数日前に例年より早く梅雨が明け、夏本番が到来したばかりの季節。ぬるくても新鮮な水が、渇きを癒してくれました。
 水場を離れ、平良の集落にいったん入ってからさっきの分かれ道に戻り、「烏帽子山展望所」へと向かいます。道端に出ていたキジが、足音に驚いて飛び去っていくのを見つつ、ふうふう言いながら登っていった先に、展望所のあずまやがありました。ここから、平良のほうを見下ろしてみます。
 「あ、いいじゃない」
 住宅の密集した集落、沖合の青い海、その向こう側にある上甑島までが、きれいに見渡せます。なかなかの景観。暑さの中、高台を吹き抜ける風が心地よいです。ふもとからはちょうど、午後5時を知らせる音楽が鳴り響いてきました。
 反対側のほうにも目を向けてみます。海をはさんで下甑島の緑の山並みが見え、それに白い雲がかかっていました。こちらもなかなかに素晴らしい趣です。
 「でも、ここにもやがては橋が架かってしまうのかな……」
 今見ている風景の中に、鉄とコンクリートからなる人工の建造物が、ズデンと居座っている様子を思い浮かべてみました。橋が架かれば、島民の皆さんにとっては便利になるのでしょうが、私のような通りすがりの旅行者にとっては、どうも無粋でなじめないような気がします。
 際限なく工事が繰り返される土建国家の離島。展望所の建っているこの山も開発しすぎて、ふもとの水場に影響を与えたりしなければよいのですが。


奄美大島 Amamioshima

 奄美大島は、鹿児島県本土から南に380kmほど、琉球弧の一角をなす周囲461kmの大きな島で、7万余りの人口を擁しています。
 文化圏的にはもはや琉球に属するところではありますが、属国とはいえ一応独立王国であった琉球とは異なり、江戸時代の初めに私の故郷である薩摩藩が制圧し、ずっと直接の支配下に置いてきました。そして「黒糖地獄」と呼ばれたような過酷な砂糖の専売制を敷き、それによって上がった収益が、幕末の薩摩藩の歴史に残る大活躍を支える資金となったのです。こうしてみると、ここは近代日本の成立の踏み台となった島であるような気がします。現在ではもちろん、南海の楽園的なリゾート地にもなっており、鹿児島をはじめとする日本本土から数多くの観光客が訪れます。
 亜熱帯の植生を持ち、天然記念物・アマミノクロウサギやルリカケスに代表されるような固有種の動物も多い島なのですが、私が「奄美大島」と聞いて真っ先に思い出すものは、何といっても猛烈な毒を持ったヘビ「ハブ」です。
 もう亡くなりましたが、鹿児島には椋鳩十という有名な児童動物文学の郷土作家がおり、この人の著作の1つに『ハブとたたかう島』というものがありました。小学生の時分にこれを読んだ私は、本の中で語られている若夫婦と赤ちゃんの1家3人が1匹のハブのために全滅した話、ハブ取り名人が片足を失った話などを読んで、子供心に恐怖におののいた記憶があります。
 聞けば、奄美大島におけるハブは、もともと生息していたわけではなく、人間の歴史とともに、沖縄方面から持ち込まれて繁殖したものなのだそうです。この地に住む人の生命を奪い続けたおぞましい毒蛇ではありますが、近年は咬害も少なくなっており、またハブがいるからこそ、アマミノクロウサギのような独特の動物たちの生息域が、天下の土建国家による乱開発から守られてきたという側面もあるようです。
 奄美大島の南方には、請島・与路島という2つの小さな島がありますが、この2島は奄美の中でも特にハブが多く出没するところだといいます。島の集落には、10メートルおきくらいに木の「ハブ棒」がたてかけられており、ハブが出たときには必ずこれでたたき殺すのだそうです。そういうことは知らずにこの2島まで南下していった私ですが、幸い、ハブには出くわさずにすみました。
 ハブとは全く関係ありませんが、この地で味わえる有名な郷土料理として、「鶏飯(けいはん)」があります。チキンスープのお茶漬けと呼べるような、比較的シンプルで微妙な味わいのある料理です。私が初めて奄美を訪れた日の夕暮れ時、南部の漁師町・古仁屋の家の前の路上で、ネコたちにえさをやっていたおばあさんとその孫娘に出会って話をしましたが、私がせっかく奄美に来たのだから今夜はぜひ鶏飯を食べてみたいという話を振ったら、中学生の孫娘さんが、
 「あたし、鶏飯大好き! 学校の給食で月に1度出るけれど、月に1度じゃなくて、週に1度出ればいいのに」
と言って、無邪気に目をきらきらさせていたのが印象的でした。

 ▼瀬戸内町公式サイト http://www.amami-setouchi.org/sub_menu_html/kankou/sub_index.html


請島 Ukeshima

 「与路島は、とにかくハブが多いで……」
 奄美大島南部の港町・古仁屋と請島・与路島とを結ぶ連絡船「せとなみ」の船上で、私はいきなり脅かされました。脅かしたのは、昨夜泊まった旅館で一緒だった60代とおぼしき夫婦連れの夫のほうでした。奄美・沖縄地方に生息する危険すぎる毒蛇・ハブ。聞けば、私が向かっている与路島というのは、特にうじゃうじゃいる場所だといいます。この日は、与路島を歩いてから、隣の島である請島に泊まる予定なのですが、その請島も多発地帯だといいます。ぞぞっ。
 ともあれ「せとなみ」は、海面にトビウオが飛び、クジラも出現した南海の航路をすべるように進み、やがて請島の請阿室、次に池地の港に到着しました。どちらも、港に近づくと海がきれいなエメラルド色をしています。さきほどぞぞっとする話をしてくれた男性が、池地の波止場に降り立ってから、船上にいる私へ向かって言いました。
 「兄ちゃん、おれたちゃきょうからここに泊まっているで、遊びに来いや」
 わたしもきょうからこの島に2泊する予定です。うなずきつつも、まずは「せとなみ」に乗り続け、与路へと向かいました。3時間余り与路島を歩き回ってから、午後3時の「せとなみ」で請島へと引き返します。池地を過ぎ、請阿室の港に降り立つと、電話で予約を入れていた民宿「とや○」のおかみさんが、ワゴン車で迎えに来てくれていました。民宿に落ち着き、お茶などいただきます。
 さて、着いて早々ではありますが、私はこれから池地へ遠征してみようかと思い立ちました。時刻は午後4時を回ったところ。おかみさんによれば、40分ほど歩けば着くというので、十分に時間はあるでしょう。さぁ、出発です。
その1:請阿室→池地
 たっぷりの緑に囲まれた、ゆったり整然とした区画が特徴的な請阿室の集落から、山を越えていく坂道へと入ると、家畜のにおいが漂ってくる区域がありました。放牧が盛んだという島。きっと近くに牛舎があるのでしょう。そこを過ぎると、宿のおかみさんから極めて景色のいいところだと聞いていた「きゅらしま神社」がありました。
 
請阿室 
きゅらしま神社から見下ろす請阿室の集落とビーチ
 
 なるほど、請阿室の集落が眼下に一望できます。神社自体の歴史は、割と新しいもののようでした。
 ここからさらに先に進んでいくと、ヘリポートです。手前のヘリポートは今は使われておらず、奥のほうが使用されているとのこと。その奥のヘリポートは、だだっ広い円形の広場になっています。何もありませんが、隅にコンクリート製の丸テーブルといすとが設置されていました。周縁の松林からは、加計呂麻島がのぞめました。
 ヘリポートを過ぎたあたりから、道は下っていきます。途中、右手に「クンマ海岸」へと降りていくらしい道を見ましたが、もう午後5時もとっくに過ぎており、とりあえず急ぎますので、きょうはここはパスします。しばらく進むと、どうやら池地の集落に入ったらしく、堤防にはハブが出現したときにたたくための「ハブ棒」が立てかけられてありました。このへんで、観光客らしい若いギャル2人ともすれ違いました。
 池地小中学校を過ぎると、民家が多くなってきます。そのうち1軒で、ちょうど庭先に出ていた人から、この島の固有種「ウケユリ」についての話を聞くことができました。残念ながら、この人の庭にはウケユリの株はなく、またウケユリの花が咲くのは、今から1か月ばかり先だということでした。
 「さて、あのおいちゃん夫婦、どこに泊まっているのかな」
 訪ねていこうと思い、広場でゲートボールの練習をしていた島民、および見守っていた薬品会社のセールスマンの人に、この池地集落の民宿がどこにあるか聞いてみます。セールスマンの人が、その民宿「みな○」まで案内してくれました。
 時刻は午後6時を回ったところ。民宿の敷地に踏み込むと、民宿のおかみさんが出てきました。
 「あのぉ〜。ここに、きょう朝の船で来た年配のご夫婦が泊まっていませんでしょうか?」
と尋ねると、
 「あぁ、その人たちなら、ちょうど今食事中で、あちらの棟にいますよ。どうぞ、そちらから進んでいってください」
と言って、庭を横切った先にある部屋を指しました。そちらへ歩み寄り、窓から失礼して、民宿の食堂となっている座敷へとお邪魔させてもらいます。
 「あら、福岡の兄ちゃんじゃないか。よく来たな」
と、例の男性。奥さんも一緒で、ほかに40代前半くらいの女性も1人、夕食をとっている最中でした。
 「こういうのも縁じゃ、ちょっと一杯やろう」
 宿のおかみさんに頼んで、黒糖焼酎を1杯持ってきてもらいます。おかみさんも、宿泊客でもない私に、にこやかに出してくれ、さらにちょっとした前菜までくれました。私は感謝して言いました。
 「どうもすいませんね。こちらの人につけておいてください」
 同席していた40代くらいの女性も交え、にこやかに、にぎやかに。ウケユリ開花の季節はまだですが、ここにはつかの間、話に花が咲きました。
その2:池地→請阿室
 さて、そんなうちに午後7時が近くなってきました。帰り着く時間を考えると、残念ながらゆっくり飲んで話などもしていられません。何せ、ハブが多いという島です。名残は惜しいのですが、6時55分ごろには切り上げて、民宿「み○み」を後にしました。
 外に出ると、いかに南の島とはいえ、4月下旬の太陽はすでに光線が弱くなりかけていました。真っ暗にならないうちに、なんとか請阿室まで帰り着きたいものです。門を出てちょっと歩いたところで、来るときにすれ違ったギャル2人が、私が後にしてきた民宿「○なみ」へと帰っていくところに出くわしました。この2人は、先ほど出会ったときに、私に請阿室までどのくらいかかるのか尋ねてきたのですが、結局途中で引き返してしまい、行かずじまいだったといいます。2人ともあす朝の船で帰ってしまうそうで、きょうでお別れ。ちょっと残念です。
 ただ本当に、ギャルたちともゆっくり話し込んでいる時間はありません。すぐに別れて、帰路を急ぎます。息を切らさない程度の早歩きで、坂を上っていきましたが、ほぼ上りきったところにあるヘリポートのあたりで、どうやら周囲は完全に真っ暗になってしまいました。都会の夜とは異なり、真の闇に包まれる離島の夜です。そしてこれからがハブの活動タイムです。
 「出合いたくは、ないよな」
 ハブは、光が嫌いだといいます。私は、首から提げていた一眼レフカメラのボタンを押し、省電力モードになっていたモニターを明るく光らせました。1回押すと、20秒ほど明るくなっていますが、その後はまた省電力モードで暗くなってしまいます。が、この程度の光でも、気休めのハブよけにはなるのではないでしょうか。私は、請阿室へと続く坂を下りながら、ボタンを押してはモニターを発光させる作業を、光が消えるたびに繰り返しました。
 効果はあったのかなかったのか。ともかくそのうちに、家畜のにおいが漂うエリアを過ぎ、午後7時25分ごろ、私は無事に請阿室の集落へと帰り着きました。もっとも真っ暗なため、泊まっている民宿がどこにあるのか、簡単には分かりませんでしたが。
その3:請阿室→池地→大山展望台
 さて、2日目です。朝遅めに動き出した私、緑にあふれる請阿室の集落をぶらぶらしているうちに、きのう池地で出会った薬品会社のセールスマンの人と再会して、路上で話し込んだりしました。のどかな、島の朝です。
 セールスマン氏とは午前11時すぎに別れ、私はいったん民宿「と○ま」まで戻ります。併設されている商店に入って、昼食用にパンでもないかと探したのですが、どうも見当たりません。出てきたおかみさんに聞いてみると、あいにくきのうが日曜日で入荷がなかったため、切らしているとのことでした。仕方ないので、何か代わりになるものでも……と探し始めたら、おかみさんが、
 「あのぉ、よろしければ、おにぎりでも作りましょうか?」
と言ってきてくれました。なんともありがたい申し出。1も2もなく頼んでしまいます。しばらく待ったところで、ほかほかのおにぎりを2個、ラップにくるんで持ってきてくれました。
 さて、きょうも池地へと出発。途中、きゅらしま神社、ヘリポートにも立ち寄り、きのうの夕方近くの風景とは若干異なる、よく晴れた昼のたたずまいを十分に楽しみます。きのうはパスしたクンマ海岸へも立ち寄り、砂浜で30分ほどを過ごしました。
 海岸を離れ、池地へ続く道へ戻ってしばらく行ったところで、道端にユリが何本か白い花をつけているのが目に入りました。請島の固有種・ウケユリについての話をきのう聞きましたが、これは普通のテッポウユリ「シマユリ」でしょう。ただ、いい雰囲気ですので、三脚を下ろして写真に収めます。何枚か撮っているうちに、この場に電動車いすに乗ったおばあさんが通りかかりました。右手には杖を持っています。
 「シマユリ……は咲き始めているけど、ウケユリ……はまだじゃ。6月にかけてになるでの」
 何となく、話が始まりました。おばあさんは相当な高齢で、朴訥とはしていますが、しっかりとした話し方です。ユリの話に始まり、ハブの話、池地の話など。ウケユリについては、わざわざメモ帳に略図まで描いて、ウケユリの株を持っているという家を教えてくれました。この家は、きのうウケユリについての話を聞いた人からも、株があると言っていたところです。きのうは、この家の庭に踏み込んではみたものの、だれもいない様子でしたので、気後れした私はそのまま引き揚げたのでした。
 長々話した後に別れ、池地の集落へと入ります。教えてもらったウケユリがあるという家の前に立ちましたが、きょうも人の気配が感じられません。踏み込めないまま門から離れ、近くを歩いていたときでした。さっきの電動車いすのおばあさんが戻ってきました。
 「ついておいで。ウケユリの家まで案内してあげるよ」
 おばあさんの先導で、私は例の家の敷地に踏み込みました。すると、さっきはいなかったはずの主人が庭先まで出ており、これがウケユリだという株を、無事に見せてもらうことができました。それほど大きなものでなく、育ちきっていない感じ。花が咲くのは、確かにまだしばらく先のようです。
 この後、ウケユリの自生地がある大山のほうへと歩きました。自生地には、この島のウケユリ保存会「みの○会」から入山許可をとって、「み○り会」の人間と一緒に行かなければならないということですが、途中にある大山展望台までなら自由に行ってOKということです。
 30〜40分かけ、緑に塗られた木製の丸テーブルと丸太いすがある展望台に到着。「請島(池地大山)展望台 夜明台」と書かれたプレートが、近くの木に打ち付けられています。野生化したヤギが1匹、あたりのやぶから現れ、また消えていきました。見渡す海上は雲に覆われてきており、展望は今ひとつでした。
 「ま、これでこの島も、行くべきところは巡ったか」
 時刻は、すでに午後3時40分。請阿室の集落を出てから4時間半もたっているのは、途中でいろいろと道草を食ってきたせいです。一方、まだ食っていないのは、民宿のおかみさん手製のおにぎり。私は丸太いすに腰掛け、ここでようやくほおばることができました。
その4:大山展望台→池地→請阿室
 この日、午前中はきれいに晴れていたのですが、天気予報で言っていた通りに、午後1時を過ぎたあたりから雲はどんどん多くなってきていました。展望台からゆっくりと海を眺めた後、午後4時20分ごろに離れて、池地へと向かいます。30分ほどで、どうやら民宿「○なみ」のところまで戻ってきました。
 「きのうのおいちゃん夫婦、いるかな」
と思って、きょうもちょっとのぞいてみましたが、どうも人の気配がない感じです。私はあす朝に福岡へと帰る身ですので、最後にあいさつしておこうかと思ったのですが、結局できずじまいでした。
 集落を歩いているうちに、座りながら庭の植物に水をやっているおばあさんに出会いました。家を囲む結構高いブロック塀ごしに、話をします。おばあさんは、本土で長く生活してきて、なんと63年ぶりに池地に帰ってきたのだとか。63年といえば、ちょうどあの時代。島を離れたのには、どんな理由があったのでしょうか。おばあさんは、昔に比べるとこの池地の集落は弱くなってしまったと言い、少し悲しげでした。
 池地の集落をぶらぶらしているうちに、雲はいっそう多くなってきて、そのうちに雨がぽつぼつ。時刻は午後6時前、そろそろ引き揚げどきでしょうか。ハブ棒がたてかけてある海沿いの道を、請阿室のほうへ歩き始めます。クンマ海岸入り口、ヘリポート、きゅらしま神社、牛舎エリアを通り、何事もなく請阿室へと帰り着きました。時刻は、辺りが暗くなり始めた午後6時50分前。きのうはこれくらいの時間から帰途に着いたことを思えば、きょうは余裕の帰還でした。
 民宿で夕食をとってから部屋に戻ると、外からは激しい雨音が聞こえてきました。本格的な雨のようです。思えば滞在した2日間で、私はこの周囲24.8kmの島にある2つの集落を2往復しましたが、その間、雨にもハブにも襲われることはありませんでした。私は運が良かったのか……きっと、ざざっと降る季節にも、ぞぞっとする季節にも、まだいくぶん早かったのでしょう。ウケユリの季節にも早かったので、その白く美しい花にもお目にかかることはありませんでしたが。


与路島 Yoroshima

 奄美大島南部の港町・古仁屋と請島・与路島とを結ぶ連絡船「せとなみ」の船上で、私はいきなり脅かされました。
 「与路島……あれは、人の住むところじゃねぇな。とにかくハブが多いでよ。おれは仕事(シロアリやダニ駆除らしい)で行ったことがあるけど、海辺で腰掛けてみたら、なんか変な感触だと思ったら、ハブの上に座っていたでよ。とぐろをまいていたから、おれの体重がのしかかって、ハブのほうも身動きができなくて助かったようなものの、あれがまっすぐ伸びた状態だったら、きっと頭を反転させて毒を打ち込まれていただろうよ」
 話してくれたのは、昨夜泊まった旅館で一緒だった60代とおぼしき夫婦連れの夫のほう。聞けば与路島というのは、奄美の中でも特にハブの出る地域であるようなのです。集落には、出くわしたときにたたき殺せるよう、あちこちに「ハブ棒」がたてかけられてあり、ハブをとって生計を立てている「ハブとり名人」も住んでいるといいます。「ハブ棒」の話くらいは、旅行前に調べて知ってはいましたが、与路島がそんな恐ろしい多発地帯だったとはつゆ知りませんでした。動揺してしまった私は、船員さんや他の乗客にも聞いてみました。
 「あの〜。与路島というのはハブがうようよいて、上陸したら群れをなして襲ってくるというのは本当ですか?」
 「まさか。そんなだったら、奄美の人口はゼロになってしまうがな」
 「私は現在、与路に住んでいるんだけど、そんなことはないよ」
 この返事を聞き、晴れ渡る空の下、右手に見える加計呂麻島や、青い海面から時折を飛び出してくるトビウオを眺めるうちに、少し心は落ち着きました。もっとも、トビウオを見ているうちに、少し離れたところの海面が波立って白く割れたかと思うと、黒い巨大なクジラが姿を見せて再び沈んでいったのには、ちょっとびっくりしましたが。
 船は請島の請阿室、池地の両港に寄り、砂浜が山に吹き上げている無人島・ハンミャ島を過ぎて、終点の与路へと到着しました。どの港の周りも海がエメラルド色をしていて、この上なく美しかったのが印象的でした。
 さて、帰りの船が出るまで3時間余り。この間に、周囲18.4kmの島を見て回らなければならなりません。港から広がる与路の集落に一歩踏み込むと、特徴だというサンゴの石垣が目に入ってきました。黒っぽい色で、割と整然と積まれている感じです。そして、石垣や塀の周りには、ありましたありました。10メートルおきくらいに、人の身長ほどの長さの、上の方に赤いテープが1巻きされた木の棒が立てかけてあります。これが、「ハブ棒」です。サンゴの石垣、ハブ棒、それに島の春に咲く花々という取り合わせ。陽光がきらめき、のどかな南国情緒にあふれています。
 
石垣とハブ棒 
与路島の集落、サンゴの石垣にたてかけられたハブ棒
 
 「だけど、ハブに対する警戒だけは怠ってはいけないな」
 そう自戒しつつこの後、集落の裏に広がる耕作地(放棄されているところも多かったようですが)へ出て、そこから島北部をぐるりと回る道を歩きました。途中、舗装道路がなくなって、草が生えたけもの道になったのですが、ハブは光が嫌いで日中はそう動かないせいでしょうか、幸いにも1匹も出合わないまま、どうやら無事に与路の集落へと戻ってくることができました。
 小学校があり、校庭でゲートボールの練習をしている人たちの様子を見た後、港のほうへと集落を移動していくと、商店であるらしいごく小さな家があるのが目に留まりました。きょうは古仁屋の旅館での朝食以来、何も食べていません。小屋のような店、雰囲気からしておそらく、島の雑貨屋でしょう。パンなりアイスクリームなりを置いていないかと思って、のぞいてみました。
 中にいたのは、おばあさんが2人。ちょっとした食料品と雑貨がいくばくか置いてあります。2人で話していたおばあさんがたは、私という客が来たことにとてもうれしそうでした。奥の方にいたおばあさんがこの店の主人らしいのですが、様子を見るからに、どうも目がかなり悪いようです。もう1人のおばあさんは、小さな顔をせわしく揺らしながら、にこやかに話しかけてきます。
 「この島までよく来たね。写真を撮りなさったか? ここのあちこちに、ハブをたたく棒があったじゃろ。南の島にはこんなもんがあったよと、帰ったら教えてあげんしゃい」
 私は、デジタル一眼レフカメラで撮った写真を見てもらおうとしましたが、このおばあさんのほうも目が悪いらしく、小さな画面は見えないと言います。これはあきらめて、この店にあったぶどうパン1つ150円と、サイダー1缶120円を買うことにしました。店主のおばあさんに、代金として500円玉1枚を渡すと、奥の方でなにやらごそごそしてから戻ってきて、私の手のひらに釣り銭を載せました。しかし、これを見てみますと、100円玉3枚に10円玉が6枚あります。
 「おばあちゃん、お釣り多いですよ」
 ちょっと驚いて、私は100円玉2枚と10円玉3枚だけを受け取って、残りは返しました。目が悪いとは言っていますが、相当重度のようです。手渡した硬貨の枚数から考えても、計算のほうもちゃんとできていない感じです。硬貨を返したところで、おばあさんは言いました。
 「あんた、正直だね」
 いやはや、きっとこの店、商売として成り立ってはいないでしょう。ですけど、おばあさんたちは何も気にすることなく、楽しそうにまた話を続けています。目が悪いというお2人、ハブが出たときには気をつけてくださいね。


 
 ▼鹿児島“しま”のサポーター 
http://www.shima-supporter.com/


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