大分の離島記

the Records of Island Visits in Oita

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姫島 Himeshima

 姫島は、大分・国後半島の伊美港沖に浮かぶ、周囲13.7kmの島です。「姫島かれい」「姫島車えび」などの特産品や、名物「きつね踊り」により、九州内では割と知名度が高く、テレビの2時間ものサスペンス劇場で、旅情殺人事件の舞台としても幾度か取り上げられています。
 そういうわけで、島内は観光客向けにもわりかし整備が進んでおり、7か所に名所「姫島の七不思議」が設定され、観光客はレンタサイクルでこれを巡るのが、1つの楽しみ方になっています。お盆も過ぎ、この年の「狐踊り」も終わった8月のある日、私は1泊2日でここを訪れました。
 初日は、島の民宿「村さ○」に到着したところでちょうど雨が上がり、民宿の位置する島西部を中心に歩いて回って、七不思議「千人堂」「浮洲」を押さえました。この後、港の少し東にある海水浴場にちょっと立ち寄ってから、さて民宿に戻ろうかと思ったとき、目の前にそびえる標高266メートルの「矢筈岳」を見て、近くを歩いていたおばあさんにちょっと聞いてみました。
 「あの山、今から登って、暗くなるまでに降りてこられますかね」
 「矢筈岳ねぇ……あれは山頂近くに、権現様があるがな。昔はよく島の人は、何でも願い事をしに登っていたね。てっぺんまで登りたい? そうね、1時間ぐらいみておいたほうがいいけれど、まだ7時すぎまで明るい時期だし、男の足なら何とか今からでも登れるんじゃないかねぇ」
という返事だったので、午後6時になろうかという時間でしたが、思い切ってチャレンジしてみることにしました。
 登山道をぐいぐいと、割とハイペースで40分ほど登っていったのですが、山頂の近くまでたどりついたところで、草が生い茂って道が埋没していました。日没までもういくばくもないという時間の関係もあり、結局、これ以上進むのは断念、下山することにしました。下りてしばらくしたところで、辺りは完全に暗くなってしまい、地図を頼りに何とか「村さ○」まで帰り着けたのは、午後7時半ごろ。日没前のやや無謀な挑戦で、民宿のおかみさんをすっかり心配させてしまいました。
 翌朝、きょうは島の東部へサイクリングに行こうと、自転車を借りるべくフェリー発着場近くの土産物店へと向かいました。が、途中、畑に通りかかったところで農作業姿のおばあさんとすれ違い、このキヌエさんという元気な86歳と、えんえん30分ほども道端で話し込んでしまいました。結局、自転車を借りたのは午前11時を過ぎたころ。若干立ち上がりが遅れましたが、晴れ上がった8月の太陽の下、「七不思議」制覇へと漕ぎ出しました。
 七不思議「逆柳」、アサギマダラ生息地、七不思議「かねつけ石」を順調に過ぎ、島北東部の七不思議「拍子水」へとたどりつきます。ここは、冷泉が間断なく湧き出しているところで、すぐそばに建てられている健康管理センターに、この水を利用した「拍子水温泉」が設けられています。時刻は午後1時前、真夏の太陽の下を走ってきた私は、この温泉に立ち寄って汗を流すことにしました。
 300円の島外者入浴料を払って入った男湯には、浴槽が2つあり、1つは温水、もう1つは湧水そのものをたたえた水風呂になっていました。私のほかには、おじいさんが1人入っているだけですが、隣の女湯からは、島のおばあさんたちでしょうか、にぎやかな話し声が響いてきます。おじいさんによると、今の時間帯は女性が多い。男湯は、夕方になって漁に出ている人たちが帰ってくると、にぎやかになるということでした。
 十分につかって、さっぱりとしたところで風呂から上がり、この健康センターのホールへと戻ります。ソファが置かれ、奥には広い和室があって、私と同じく風呂上がりらしい島のおばあさま方6、7人が、横になって思い思いにリラックスしていました。晴れて気温は高いものの、東風が涼しく感じられる日で、冷房をかけていない館内も、心地よい風が吹き抜けていました。
 
島の温泉にて 
真夏の昼下がり、温泉施設のある健康管理センターでまどろむ島民たち
 
 ホールのソファで、テーブルの上に置いてあった新聞を読みながらくつろいでいると、そばにいたおばあさんが言いました。
 「あんた、先ほど畑でキヌエさんと話していた人じゃなか?」
 おやおや。畑のそばで長々と話をしているところを、目撃していたらしいのです。このおばあさんは、キヌエさんよりは1歳下の85歳。ここに寝転がっているおばあさんグループのうち、4人が同い年だといいます。ちなみに教えてくれるには、私が昨日からお世話になってきた「ヒロちゃん」こと「○さ来」のおかみさんは、1回り年下の72歳。姫島の島民はみな、お互いだれがだれなのか知っているということでした。
 十分にくつろいでから、そろそろ残る七不思議の「浮田」「阿弥陀牡蠣」を制覇すべく、またペダルを漕ぎに出るかと思ったとき、外から新たにおじいさんとおばあさんとが入館してきました。おばあさんのほうが、私を見て話しかけてきます。
 「あら、あんた。きのうは無事に山に登って下りてこられたかいね」
 このおばあさん、きのうの夕方に海水浴場の近くで「男の足なら今からでもなんとかなるんじゃないかね」と言って、私を矢筈岳登山へとけしかけた人だったのです。こう言ってはみたものの、後になって「やっぱり結構遅い時間だったし、暗くなる前に無事に帰れたんかいな」と心配になったといいます。私が山頂付近で、繁茂する植物に行く手を阻まれたことを告げると、
 「最近は島の人も、権現様にお参りに登らんでな。草刈りもしとらんとよ」
とのことでした。
 2700ほどの人が暮らすこの姫島、住民はみな顔見知りで、私のような外来者も、このようにすぐ覚えられてしまいます。テレビの旅情サスペンスで起きるような凶悪事件は、この環境ではとても起こせそうにないですね。


保戸島 Hotojima

 突然、思いがけない方角から声がしました。背後にある堤防、さらにその向こうに広がる岩場のほうから、女性の話し声が響いてきたのです。
 津久見沖の豊後水道浮かぶ保戸島。周囲4km、面積0.86平方kmながら、明治以来マグロ漁業で栄えてきた島です。平地がほとんどないこの小さな島には、今でも1400人の住民がおり、連絡船が着く漁港の周辺は3、4階建ての住居が密集して建っています。狭くて暗い路地を抜け、海沿いの道路を進み、細い堤防でつながった島南端の灯台の根元に立って、今来た漁港のほうを顧みていたときでした。
 振り返って見てみると、岩場のほうには、なにやら潜って作業をしている人影が2つ。もう少し離れたところにも、年配の女性らしき姿が2つありました。また、岩場のさらに遠めのほうからは、ウェットスーツに身を包んだ男性が、なにやら大きな袋を担ぎながら近づいてくる姿も見えます。私もこの岩場に降りようと、堤防のところに行き、降り口のはしごを見つけたところで、その男性とすれ違うこととなりました。
 「こんにちは。ここでなにか取ってらっしゃるのですか?」
 「これよ、これ」
 この男性は、かなりの年配の人でした。私のほうへ差し出した、まるでサンドバッグのような袋の中には、大小のウニやサザエその他の貝類が、いっぱいつまっていました。
 「この大きくて赤いのがアカウニ、小さいのがバフンウニ。バフンウニも、北海道あたりじゃもっと大きいらしいんじゃが……」
 どうも、この岩場では、少し潜ればいろいろな海の恵みが手に入るようです。男性は、堤防の上でいろいろとこの保戸島について語ってくれました。
 「保戸島のマグロ漁は、大きな船が1隻。冷凍船で、これは1度出航したら3〜4か月は海の上。ほかに中型船もある。これの活動期間は、40日くらい。今は船員のほとんどはインドネシア人よな」
 「この島、昔は4000人から住んでいて、島の小中学校もそれぞれ2クラス80人ずつの生徒がおった。昔は畑も作っている人がおったが……麦とかイモとかな。今はおらんよ」
そして、
 「この島はほれ、本土の岬からはすぐじゃが、橋をかけることはもうないじゃろう。防犯の問題もあるでな」
 ある程度話し終えると、男性は堤防を降り、袋を担いで集落のほうへと戻っていきました。私のほうは、大分本土の岬が海をはさんで本当に目と鼻の先にある、この岩場へと下りてみることにします。
 岩場には、2人連れの女性が2組。まずは、さっきの灯台に近いほうにいた2人へと近づいてみます。やはりかなりの年配で、ジャージのような服装をしていました。さきほどのウェットスーツの男性と同じく、ウニなどを取っていたようで、傍らに同じような袋が置いてありました。ちょっと話を聞いてみます。
 「ここは、昔はもっととれたがな。特に台風の後とかはな。今はだめだわ。船を通すため、島と岬との間の海底は深く溝を掘っているけど、そこに岩がだいぶ落ち込んでしまったから。ウニやサザエがめっきりいなくなってしまったわ」
 やはりさっきも聞いたとおり、この宝の海とも言える岩場は、危機に瀕しているようです。この2人のところを離れて、もう1組の2人連れのほうへ行ってみます。こちらが、さきほど灯台のほうから話し声を聞いた2人組でしょう。こちらのほうは、岩場でかきを割る作業をしていました。大きなかきを割っては、中身を海水で洗ってバケツへと移し替えています。1人の方が、声をかけてきました。
 
保戸島南端の岩場 
保戸島南端、大分本土を間近に臨む岩場で、ウニ、カキその他を採取する島の人たち
 
 「兄ちゃん、食いね。生かき。とれたてだよ。いっぱいあっで」
 勧められるままに、1つ、2つと生かきを海水で洗っては食べます。
 「まだ食うね、ほれ」
 食べ終わっては、次々とまた出してくれます。海辺で生かきを直接食べるなど、何年ぶりでしょうか。きっと子供のころ故郷の鹿児島で、母が幼少期を過ごしたという海辺の町に行ったとき以来でしょう。もう1人のおばさんのほうは、一心にかきを割っては洗っています。
 「2人でこうやって一緒にかき取りに出る。毎日楽しいよ。楽しく生きにゃ」
 聞けば、子供たちはみな巣立って、島を離れていったそうですが、なんとも前向きなおばさま方です。この2人のコスチュームは、青と緑のおそろいのジャージ。元来、この島の中学校で使っているものだそうで、岩場の作業で穴が開いたら、エプロンにしてしまうとのことです。
 勧められるまま、差し出されるままに、10個ほどの生かきを食べたでしょうか。かきのほかに、アカウニも1つ、割って出してくれました。
 とれたての生の海の幸。ただ、調味料は海水だけです。次から次へ食べているうちに、口の中がしょっぱくなってきました。さすがにもういいかな、という感じ。潮位も心なしか上がってきたようです。潮時です。引き揚げましょう。私は堤防のほうへ戻ります。おばさま方も引き揚げるようで、バケツを持ち上げて歩き始めました。
 まだ梅雨の明けない2007年の7月半ば、空模様はどんよりとして、今にも泣き出してきそうな感じの1日でしたが、岩場を後にするとき、私の心の中にもやもやはありませんでした。


深島 Fukashima

 「帰りの船が出るまで、4時間ほどもあるでよ。きっと退屈するじゃろう」
 大分県南部にある蒲江の港から、屋形島を経て深島へと向かう渡船「えばあぐりい○」の中で、島民のおばさまがたに交じって乗り合わせていた蒲江町の商工会長さんが、蒲江の町と海についていろいろ話してくれた後、私にそう言いました。本人は、深島から堤防修理のための陳情を行ってほしいとの要望を受けたため、現場視察に行くのだといいますが、観光客には特に見所のない島だと言います。話をしているうちに船は、深島の漁港とも呼べないような小さな船着場に到着しました。正午に蒲江を出港してから、30分ほどの航海でした。
 「まずは灯台に行くといい。おばあさんに道を教えてもらいな」
 私は教えてもらったとおりに、右手へと進んで山道に入りました。馬蹄形の葉をした草が両側に生い茂る道を進み、丸木橋を越えて上っていき、白い灯台の建っている山の頂上にたどりつきます。思いがけないことに、そこには「先客」が1人いて、早春の曇り空の下、昼寝などしていました。40代後半くらいのその男性は、私の足音を聞いて起き上がりました。
 「こんにちは」
 「あ、どうも。こんにちは」
 この島の人口は30人ほどで、独り暮らしの高齢女性が多いと聞いていたので、こんなところで壮年の男性と出会うとは意外でした。男性は作業用の長靴をはいており、ツワブキを採取するために山に入ってきたのだといいます。少しこの島のことについて語ってくれました。
 「この島はいい漁場で、蒲江からの釣り船や、遊漁客がよく来るよ。あそこの岩場の沖、4隻の船があるじゃろう。あれは蒲江の船で、ここでブリの一本釣りをしちょるとよ。きょうはおらんけど、岩場には釣り客がよく貼り付いているで。島には10か所以上の釣りのポイントとなっている岩場があって、多いときには30人以上が釣りをしているよ」
 「この島、鳥も多いで。ヒヨドリが大根の葉をついばんでいるって? それもあんけど、それよりキジがたくさんいて、作物を食べるでよ。来る途中、キジを見んかったかね? ほれ、鳴き声が聞こえるじゃろ? あれがキジさ。だけど非常に臆病なたちで、人の足音を聞いただけで逃げてしまうさな。あと、カラスも結構いるけど」
 野生のキジ、私はまだ見たことがありません。耳を澄ませば、それらしい鳴き声が聞こえてきます。すぐ逃げるということで、写真に収めるのは難しそうですが、ぜひ一目見てみたいという気になりました。
 ひとしきり過ごしてから山を下り、山道を歩いていくと、そのうち集落へと出てきました。さきほど船で乗り合わせたおばさまがたが4人、路上に座ってなにやら包丁を使った作業を行っています。
 
深島ツワブキ 
採取してきたツワブキを調える深島婦人部のメンバー
 
 「すいません、何をやっているんですか?」
 「あ、さっきの兄ちゃんかい。ツワブキを切っとるところじゃよ」
 山道でたくさん見かけた馬蹄形の葉をした草が、4人の中央に積まれており、その茎の外皮を包丁でむいて、7〜8cmの長さに切っているところだったのです。野生のツワブキ、佃煮や煮しめにするとおいしいといいます。周囲4kmの小さくて人も少ない島ですが、婦人部は高齢化しつつも元気で、「深島白みそ」は特産になっています。蒲江の店でも売っているのを見かけました。みそにとどまらず、ツワブキもここの大事な産品のようです。
 「兄ちゃん、ツワブキの煮しめがあるが、食べんかね。昼ごはんまだじゃろ? この島は、食べる店とかないでな」
 これ以上ない親切、ありがたく受けさせてもらいます。隣の家に入っていった1人のおばさまが、しばらくして湯気の立つツワブキとブリの煮しめ、それに野菜の入った味噌汁を持って出てきました。若干冷えてはいましたが、ご飯も添えてくれます。私は道端に出ていた卓に着き、深島産ツワブキの煮しめを味わいました。ツワブキの佃煮と、大根の漬物も持ってきて、テーブルに追加してくれます。簡素でも、これ以上ない昼食になりました。
 食べ終わったころには、時刻は午後4時近く。午後4時32分発の帰りの船まで、もうそれほど時間もありません。最後に、今は休校中という、島の北側にある小学校を見ておきましょう。おばさまがたに礼を言って別れ、修理が必要だという防波堤の隣を過ぎ、ため池沿いの道を上っていくと、やがて前方に「町立蒲江小学校分校」と刻まれた門が現れました。なかなか立派な校舎も見えます。結構広い校庭の、長く伸びた茶色の芝に一歩足を踏み入れた、そのときでした。
 ババババババババババ……。
 校庭の向こう側の端から、茶色い物体が2つ、1つは私の視界の左下へ、もう1つが右上へと、泡を食ったように大慌てで飛び立っていったのです。一瞬のことで、不意を突かれた私は呆然と立ち尽くすだけでした。
 「あ、あれがキジだ。見られた見られた」
 聞いていた通り、本当に神経質なようで、まだまだ距離は50メートルはあろうかというのに、校庭の反対側に現れた私の姿を見て逃げ去っていってしまったのでした。
 さて、もう船の時間です。私もここを去らなければなりません。学校を後にし、船着場のほうへ歩いていくと、ツワブキを切っていたおばさまがたが、やはりそちらへと歩いていくのに出会いました。私が声をかけます。
 「小学校、行きましたよ。校庭にキジがいました」
 「どんな色だった? オスはきれいな色よ。茶色? それはメスだが。メスは汚いよ」
ということでした。
 小さな島、船着場にはすぐにたどりつきます。来るときに乗り合わせた蒲江町の商工会長さんも、やってきました。
 「兄ちゃんどうじゃった? 退屈したろ? 何、楽しかった? そりゃよかった」


 
 ▼大分の島めぐりサイト 
http://www.oitasima.net/


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