佐賀の離島記
the Records of Island Visits in Saga
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高島 Takashima
福岡から高速バスに乗って、海沿いの道を佐賀県唐津市へと入っていくと、右手唐津湾の真ん中に、ちょうど野球帽(キャップ)のような、後方が盛り上がった形をした島が目に入ってきます。これが高島です。
城下町・唐津の中心部から2.2km離れているだけのこの島には、「宝当神社」という名前の神社があって、そのご利益のありそうな名前にひかれて、近年、宝くじファンの人たちが大挙しておまいりにやってきます。その手の人たちの間ではすでに全国的にかなり有名になっていて、遠方からもわざわざやってくる参拝客も多いようです。サッカーくじ「toto」以外のくじは買わない私ですが、島を訪れることだけを目的に、2004年の11月、上陸しました。
午前9時過ぎ、唐津のバスターミナルで降りてからしばらく市街地を歩き、渡船場に着いてみると、そこにはもう、宝当神社にお参りに行くらしい年配の団体客が、大勢船を待っていました。午前10時の便で、高島へ。船はいっぱいで、座席が足りない状態です。たいして時間はかからないので、私は甲板に立つことにしました。こうも人が多いと、エンジンと波を切る音のほかに、乗り込んでいる宝くじファンらしい年配の夫婦の話し声が、自然に耳に入ってきます。
「あんたぁ、気合入れて参らにゃ……」
みんな大声でしゃべっていて、何となく騒がしい雰囲気。快晴で暖かい、絶好の秋の行楽日和なのですが、どうも街の喧騒を避けて島へ行くという風情からは遠い感じです。10分ほどで、船は高島へ到着。ご丁寧に、船着場では、旅行社の制服らしきものを着た人が、団体客を迎えにやってきていました。船着場から宝当神社までは、歩いてすぐです。団体客の方々は、この短い距離の間を短時間で往復するだけで、45分後に出る戻りの船で唐津へ戻ってしまうようです。
ともかくこのように、訪れる参拝客で、常日ごろからにぎわっている島なのでしょう。船着場の近くにあった食事処も、およそ島の食堂とは思えない、きれいで新しいものでした(味はいまいち。かつ高かった)。私は宝当神社への道を避けて、島を一周する道らしき道路を、東(反時計)周りに歩き始めることにしました。
帽子のような形をした高島。中央部の山と周遊道路
島らしさの感じられない出だしでしたが、船着場と宝当神社の間の狭い領域から少し離れると、もう普通ののどかな島の風景が広がっていました。島民の方が畑作業をしていて、枯れ草などを焼く煙が上がっているのが見られます。やがて人気の乏しい地域に入り、対岸の唐津湾を眺めつつ歩いて、30分ほどで一周は完了。元の船着場まで戻ってきてしまいました。
周囲は3kmしかない島。あっけないものです。ただ、こんもりと盛り上がった中央部の最高点は、169メートルもあります。一周は済ませましたので、こんどは高いところを目指しましょう。そう思って、宝当神社前にある、宝当グッズなどを売っている商店の横を通ろうとすると、そこにはちょうど、丸々とした灰色のネコを連れて歩いていたおばさんがいました。私がカメラを持っているのを目にして、声をかけてきました。
「あんた、このネコさん写していくといいよ。このネコさん、宝当神社のネコで、うちと神社とを往復してるとよ。うちの宝当招き猫のモデルで、この前、(写真週刊誌の)『フ○ッシュ』にも出たんよ」
おばさんは、商店の奥さんだったようです。商店の方へと私を導いて、店の中から『フラッ○ュ』を持ってきて、見せてくれました。ページを開くと、目の前の丸々としたネコが、モノクロのグラビアに写っています。へぇと思って、私もこの「ありがたい」ネコさんを写させてもらいました。
店からご主人らしいおじさんも出てきて、ネコに煮干しをあげながら、気さくに話し掛けてきます。
「あんたぁ、きょうは1日、高島で散策かね」
「まぁ半日ですね。さっき1周してきました。真ん中がすごく高くなっている島ですね。これから上ろうと思ってますよ」
「こっちから上らんと、周遊道路からは、険しすぎて上るところはないよ。無理して上ろうとすると、あしたの新聞に『男性、高島で行方不明』とか出ることになってしまうがな」
「あ、そりゃ大丈夫です。だれもきょう私が高島に来ているなんて知りませんから」
「そりゃもっといかんがな」
このおじさん、おばさんの店「野○商店」は、近年の宝当神社ブームの火付け役を果たした店らしいです。グッズを製作し、島外に宣伝して、このようにたくさんの観光客を呼び込むことに成功したようです。「宝くじの神社」といったほほえましい内容を報道するA日新聞の大きな記事の切り抜きが、商店には何枚も張られていました。目の前の気さくなおじさん(○崎さん、島民の大部分がこの姓だというが)の、島を愛する心が、予想外ともいえる現在の盛況を島にもたらしたようです。
それはそうと、島の頂点にチャレンジしなければ。商店を離れ、島のもう1つの神社「塩屋神社」へ向かいます。この神社から、上へと向かう道が続いていました。外から見ても急傾斜だっただけあって、道はえらく険しいものでした。所によっては、40度くらいの角度があるのではないか、と思わせるくらいのものです。えっちらおっちら上っていきましたが、さすがにたまりかねて、途中で1回じっくり休んでから、さらに上り続け、やがてどうやら頂上にたどり着きました。そこには壊れかけたベンチが置いてあり、繁茂した木々の間から、
なんとか唐津市街地の方を望むことができました。
ここには、木々の間から暖かな日差しが漏れてきています。疲れましたし、慣れない早起きもしたためかなり眠かった私は、ここでごろりと横になりました。実にいい気分。しかし、直射日光が顔に当たり、いささか熱いです。そういえば、帽子を持ってくるのを忘れていました。上着を脱いで、鼻と口のところを開ける形で顔を包みこみます。これでよし。寝込んではまずいので、熟睡はしませんでしたが、1時間ばかり心地よくまどろむことができました。
入り口に参拝客がうじゃうじゃといる島でしたが、一歩中に入れば、島らしい風情も残っています。午後3時の船で帰路につくとき、遠ざかる高島の形が、家に置き忘れてきた帽子に見えました。
神集島 Kashiwajima
神集島は、唐津市北部の湊地区の沖合2km、船で10分ほど行ったところに位置する周囲6.5kmの島です。
ここは古来、大陸と日本とを結ぶ航路上にあり、渡航船の寄港地となっていました。古代の歌集『万葉集』には、当時ここで風待ちを行った人たちがこの島に残した和歌7首が収録されているそうです。現在、その7つの和歌は石碑に刻まれ、歌碑となって島の7か所に建っています。また、この「神集島」という名前の由来は、神功皇后が三韓征伐の発船に当たって、神々を集めて海上の安全を祈ったことに由来するそうです。何にしても、歴史の刻まれた由緒のある島なのです。
ここを訪れたのは、佐賀で高校総体が行われていた最中の2007年8月10日でした。船着場に着いた私は、まずはオーソドックスに、島のあちこちに建てられた7つの歌碑巡りをすることにしました。最初に島の北部へと足を向け、歌碑No.2とNo.1を見て回ります。島の北西には細長く突き出た岬があり、その先端には住吉神社という神社が建っています。この神社の周りに、歌碑No.3とNo.4はあります。太陽の激しく輝く季節、岬へと延びる道を歩くと、傍らには名物のハマユウをはじめ、さまざまな植物が生い茂っているのが見られました。
やがて住吉神社へ到着。歌碑No.3は目の前にあってすぐに見つけられましたが、それ以上にここで目を引いたのは、この神社そのもののたたずまいでした。海に接して建つ鳥居。きれいで新しいものに見えますが、「皇紀二千六百年」といった彫り込みがあり、どうも戦前あたりに造られたもののようです。8月の真っ青な空の下、透明な小波が白い鳥居の足元を洗っています。また一方で、繁茂した草木が山的なイメージも作り出しており、これらがあいまって独特の風雅な趣と品格がかもし出されています。広島の厳島神社をほうふつさせると言えば、言い過ぎでしょうか。さすがは、伝説の皇后が古代日本の神々を集めたという島です。
神集島北西端の岬に建つ住吉神社
「いいな。雰囲気あるな」
この風景を目にできただけで、この島に来たかいがあるような気がしました。
この後、船着場のほうへ戻って、島中南部にある3つの歌碑も巡り、最後に歌碑No.5のそばにある島の海水浴場で1時間ほど、何年かぶりくらいに海で泳ぎました。ほかに遊泳客も数人いましたが、私は1人で来ていることですし、事故に遭っても仕方ないので、安全が第一。足の立たない沖合までは、積極的には泳いでいきませんでした。
それでも、足が立つか立たないかくらいの深さのところまで行ってから足を着いてみると、海底にはなにやらぬるぬるした海藻が繁茂していて、ちょっと気持ちが悪いものがありました。記録的な暑さの続く夏の真っ盛り、植物が生い茂っているのは、何も地上に限ったものではなかったようです。
海水浴場のあずまやの隣には、シャワーが数本設置されていましたが、どの蛇口をひねっても水は全く出ませんでした。道をはさんだ向かいに、公衆トイレのような粗末な木製の小屋があり、そこの扉に「シャワー室」と手書きされた紙が張ってありました。そこに入ってみて、中にあったシャワーの蛇口をひねってみても、やはり水は出ませんでした。が、よく見ると隅にコインボックスが設置されています。ここに100円を投入すると、勢いよく水が出始めて、5分間ほど真水のシャワーを浴びることができました。やはり離島、貴重な水はタダでは使わせてくれなかったのです。
小川島 Ogawashima
小川島は、イカと朝市で有名な佐賀県呼子町の沖に浮かぶ、周囲4kmの島です。まだ夏真っ盛りの2006年8月、初めて呼子を訪れて簡単に朝市を見て回った後、港から定期船「そよかぜ」に乗り、この島を訪れました。
島に到着して、漁船の並ぶ港沿いに右手へとしばらく進んだ後、立ち並ぶ住宅の裏手へと続く道が目に入り、これを歩き始めます。道の途中、左手の路地を少し下ったところに、鯨の供養塔があるのを見つけました。ここはかつて、捕鯨がさかんだった島。石に刻まれたお地蔵様のような形のものが並ぶ霊域は、造花も飾られており、ちょっと厳粛な雰囲気をかもし出していました。
ひっそりとたたずむ鯨の供養塔。島の集落から少し上ったところにある
また元の道に戻り、きれいに舗装された道を先へ進んでいくと、やがて島の北側に位置する小中学校へと出ました。舗装道路のわきには、海への出入り口があります。ここから出てみたところ、なかなか見事な広々とした岩場が広がっていました。右手に見えるのが、「マン崎」と呼ばれる岬のようです。外洋に面した波は高く、白いしぶきが荒々しく砕けていました。島の子供たちも、ここでは泳ぐことはできないでしょう。
いったん舗装道路に戻り、反時計回りに道を進んでいきます。しばらく行くと、また海岸への出入り口がありました。再び出てみます。ここはさきほどのマン崎寄りではなく、「アザメノ鼻」と呼ばれる島北部のもう1つの突端に近い場所。やはり岩場がいっぱいに広がっていました。
「また舗装道路に戻るのもなんだし、このまま岩場を進んでいけば、その先にまた島一周道路に戻れる出入り口が設けられているのでは」
と思い、今来た出入り口へは引き返さず、岩場の上を足元に気をつけながら進んでみました。ただ、どうも少し考えとは違ったようです。行けども行けども、元の道へと戻る出口はありません。引き返すのも嫌だったので、それでもどんどんと進んでいきます。島を6分の1周ほどもしたところでやっと、岩場は使われていない感じの波止場へ行き当たり、私はそこから元の道へと戻ることができました。
やがて「小川島研修所」を過ぎ、どうやら島を1周したらしく、船が着いた港へと戻ってきました。1番の見どころである「鯨見張り所」を見てこなかったので、ちょっと引き返して見張り所のある高台へ上ります。ここからは、港がきれいに見下ろせました。木造の古い小屋から少し離れたところにはベンチもあり、こじんまりした公園に整備されています。早起きと暑さに疲れた私は、ベンチにごろりと横になって、照り付ける太陽と通り過ぎる心地よい風の中を、1時間近く寝転がって過ごしました。
その後、住宅の立ち並ぶ地域へと降りてみます。この島には、畑がそれほどありません。しかし、住宅は密集して建っています。その間を狭い路地が入り組んでおり、小さいながらもちょっとした迷路のような感覚です。住宅の間の狭い空間には、先ほどの鯨供養塔のような石に刻まれたお地蔵さんや、小さな鳥居のついたミニ神社を、いくつも見ることができました。信仰心に厚い島なのでしょう。
「迷路」を抜けると、港近くの公民館「憩いの家」へと出てきました。遠くから中を見てみると、お年寄りたちが何かカラオケ大会のようなことをやっています。公民館前に整備された広場のベンチに腰掛け、船の時間までと港を何となくぼんやり眺めていると、カラオケ大会は終わったのか、公民館からぞろぞろとお年寄りたちが出てきました。そのうちの1人のおばちゃんが声をかけてきて、私の隣に座りました。何かと話をします。
「この島は、あまり畑はないよ。みんな漁業だね。人口は500人ほどかねぇ」
おばさんに続いては、2本のつえを突いた足が悪いらしいおじいさんがやってきました。若々しい風貌ですが、1927年生まれで、もう80に近いといいます。昔はやはり漁師をしていて、この辺の海で島から島へと魚を求めて動き回っていたらしいのですが、何年か前に神戸で脊髄の手術を受けて以来、歩くのが不自由になってしまったそうです。島のこと、昔のこと、いろいろと語ってくれました。
「小川島に来たなら、ゆっくり散歩しなきゃ。ここのきれいな空気はタダだよ」
「ここは福岡と近いから、福岡の魚市場によく水揚げして、帰りがけには隣にある青果市場から、りんごなどを仕入れて島に帰ってきたもんだよ」
「戦争の終わりごろ、ここの空には晴れた日には、B29が12機くらい編隊をなして飛んでおったさ。この上空を旋回して、福岡方面へ向かったり、長崎方面へ向かったり。この島には輸送船が寄ったりしていたから、上空から機銃掃射がきたよ。まぁ、簡単に当たるもんじゃないけどね。輸送船めがけた機銃掃射が来ると、漁港の海面が、水切りの石のようにパパパとしぶきがあがったもんだよ。そして終戦の日、よく晴れているのに1機も飛行機が飛んでこないから、おかしいなと思っていたら、正午に戦争は終わったという放送があったね」
住んでいるところは、港のそば、漁協のすぐ後ろだといいます。
「あんた、お昼ご飯食べたのかね」
私が食べていないと言うと、
「早く言えば、うちで食べさせてあげたのに」
とのこと。島の心優しき元漁師さんでした。船の出発時間が迫っており、残念ながらもう時間はありません。ちょっと遅かったようです。もう少し早く出会っていればよかったのでしょうか。ま、しかし、漁師さんはこんなことも言っていました。
「人間、すべてのことについて感謝しなきゃ。両親が育ててくれたこと。自然の恵みで生きていられること。とにかく素直でなきゃいかん」
ごちそうになれなかったのは残念です。が、「足るを知る」ということも大切でしょう。この島へ来て、いろいろなことを見聞きさせてもらったことだけでも感謝しつつ、帰途に着くこととしましょう。
松島 Matsushima
「ほら、そこの赤い帽子の人は、松島の人よ」
お盆も間近の2008年8月、2年ぶりにやって来た呼子の朝市。名物「いかしゅうまい」をその場でふかして1個100円で売っていた屋台で、3個買うことにして300円を払った後、「これから松島に行くんです」と予定を告げたら、屋台のおかみさんがそう教えてくれました。
これは意外。島からここまで出てきて、朝市をやっている人がいるとは。その赤い帽子の女性を見てみると、ゆずごしょうなどを並べて売っています。このおかみさんのところに行き、話をしてみました。この人は、もともとは福岡・能古島の出身で、松島へ嫁いできたのだそうです。松島の人口は、以前は50人くらいだったものの、今では100人ほどもいるといいます。離島にしては珍しく、人口の増えている元気な島のようです。
「断崖絶壁の島で、砂浜などないけれど、漁港では今ごろ、子供たちが泳いでいるだろうね……。小さな島だけど、子供たちはみな、松島が好きなんですよ」
松島は、呼子の沖に浮かぶ、周囲3.8kmのひょうたん形をした小さな島。見どころなどほとんどありませんが、夏のちょっとした日帰り旅行にちょうどいいだろうと、私は早起きして福岡から高速バスに乗り、ここまで来ていたのです。午前10時、漁船も同然の小さな渡船に乗り込み、15分かけて松島へと渡ります。島唯一の(といっていい)名所・松島カトリック教会は、到着した漁港のすぐわきにそびえ立っていました。
島の漁港のすぐわきに立つ松島カトリック教会
港に降り立ったところ、すぐに案内板がありました。小さな島、主要道路は1本しかなく、しかも島の中央部あたりに短く走っているだけです。これを進む以外、選択肢はないようです。カトリック教会をのぞいてみた後、漁港から集落の間を抜けていくこの道を進み始めました。
しかし、これがえらく険しい坂道です。漁港からすぐに急勾配の坂になっていて、上っていく私にとっては、それこそ30度はあろうかと感じられます。強烈な夏の日差しの中、ふうふうと息を切らせながら、傾斜を緩めるために道を斜行しつつ上っていきました。島の小中学校分校のところで、北西へ向かっていたこの道は、東へと90度以上の鋭角でカーブしていました。ただ、上り坂なのは一緒です。さらに歩いていくと、道は今度は90度左にカーブして、そこからようやく下り坂になりました。
このへんの木立の中に、いくつかの人家が建っていました。港からはかなり離れた、坂道を上りきった先の居住地。ここに住む人たちが、物をかついで漁港との間を往復するのは、それこそ一苦労でしょう。
この人家の建っているあたりから、道はまた90度右へ曲がっていました。ずっと舗装された道が続いていたのですが、さらに少し進んだところで、ついに途絶えてしまいました。人の居住地域であるのは、このへんまでなのでしょう。その先へも行ってみましたが、まだそう高くない若木が並んだオリーブ園があっただけでした。引き返して、南のほうにも進みましたが、民家の庭に突き当たって終わっているようでした。ただその前方に、水がたまっているようなところが見えます。
「あれが、ネットの観光案内で見た、島の一番奥にあるという水源地かな」
そう思いましたが、そちらへと続く道がどうも見当たりません。それよりも、水といえばすでに、この険しい道をやってくるまでにペットボトルの水を飲みきってしまっており、この蒸し暑さの中、渇きがもはや耐えがたいレベルに達していたのです。前方に見える水は、にごった緑色をしていて、とても飲めそうにありません。島唯一の自動販売機があるのは、港口。というわけで、私はきびすを返すことにしました。
来た道を戻り、下るのにも気を使うほどの急勾配を下りきって、漁港へとたどりつきます。自動販売機で350mlの炭酸飲料を買って、岸壁に腰掛けました。どうやら一息つけました。
岸壁につながれた船の上では、お孫さんでしょうか、3人の幼い子供を連れたおじいさんがいて、網を使ってなにやら小さな稚魚をとっていました。岸壁に戻ってきたところで、話を聞いてみます。おじいさんが言うには、オリーブ園の近く、私がさっき突き当たって引き返した民家のところは、そこを越えてさらに進むことができ、その先には、堤防にせき止められた本当の水源地があるということでした。
そういうことであれば、帰りの船まではまだ時間があるので、もう1度行ってみることにします。歩き出し、再び険しすぎる坂を上っていきますが、坂道のきつさに追い打ちをかけるのが、このうだるような暑さ。半端ではありません。小中学校分校を過ぎたあたりで、たまりかねて木陰に座って一休みしました。再び立ち上がり、畑と民家とを越えて進みます。木立の中には、おそろしくたくさんのセミがいるようで、通りかかると耳をつんざくような大合唱が聞こえてきました。
先ほど引き返した地点である民家の敷地へと踏み込むと、確かに小さな通路があって、ここからもう少し先に行けるようです。池を過ぎると、その先は視界が開けており、正面に青い海、やや左手に加唐島、やや右手に呼子がきれいに見て取れる場所に出ました。そして、道は水をせき止めた堤防の上へとつながっており、堤防上の鉄柵に囲まれた通路をしばらく歩くと、堤防の切れ間の正面にハンドルのような装置が備え付けられており、そこで行き止まりになっていました。
「やれやれ、どうやら着いたな。ここが終点だ」
この貯水池は、先ほど民家近くで見た水同様、にごった緑色をしています。恐らく、ここからつながっているのでしょう。堤防のハンドル装置の前まで進み、ここで休憩することにして、腰を下ろします。
「おや、これは涼しい」
そうなのです。ここらへん一帯は、視界の開けた高台であるため海風が吹き抜け、かつ背後に水がたたえられているため、体感温度がかなり下がっているのです。加えて、真夏の青空の下に広がる風景も爽快です。
「あ〜、気持ちいい」
私は鉄柵に背をもたれて、休みました。吹き抜ける風が、電線か鉄パイプかに切り裂かれているのか、高周波のような音が聞こえてきます。海側からは、海士仕事をしているらしい声もぽつぽつ上がってきます。心地よいです。
時計は正午を回り、太陽は1日の中で最も高い位置にありましたが、ここにいるかぎりは暑さを感じません。むっとする、焼け付くような暑さと、セミの大合唱に満ち満ちた帰り道に戻るまでの20分あまりを、ここでぼんやりと涼ませてもらいました。
向島 Mukushima
現在は合併して唐津市に入った佐賀県肥前町。向島は、唐津のターミナルからバスで1時間ほどのところにある小さな港・星賀の沖に浮かぶ島です。2005年2月末に訪れました。
星賀港に着くと、ちょっと先に大きな船が停泊しているのも見えましたが、これは、やはりこの港のほど近くにある周囲43kmの大きな島・鷹島(長崎県鷹島町)へ向かう船です。目指す向島は、周囲4km。これに向かう渡船は、到着したバス停のすぐそば、30メートルほど先に止まっていた、漁船くらいのかわいらしいサイズのものでした。船室も「家族部屋」的な1部屋があるだけで、甲板にも数人しか乗れないような小さな船です。
午前11時に出港。乗っているのは、幼児2人を含む女の子4人を連れた女性と、それに付き添う男性、釣ざおを抱えた高校生くらいの男の子、それに私の計8人。家族部屋は先述の6人が使い、私と高校生は後部甲板に並んで座ります。海をわたる途中は風が激しく、甲板はかなり寒いでした。
10分ほどで到着し、島へ上陸します。子供連れの人たちも上がってきて、男性がちょうど港を通りかかった島のおばあさんと話をしているのを小耳にはさみました。どうも、子供連れの女性は男性の姉で、子供4人はめいらしいです。孫たちの顔を祖父母に見せに島へ帰ってきたのでしょう。港近くには、釣りをしている人も散見されます。高校生は、釣ざおを抱えて釣り場へと向かっていきました。
私は散策です。まず、港から反時計回りに島を回り始めます。島の小中学校や発電施設のようなものがあり、そこを過ぎてしばらく進むと、道はなくなって海岸だけになっていました。この島北東部の海岸を歩いてみると、海に向かって微笑んでいるお地蔵様のような小さな像が、なぜか岸にぽつんと建てられているのを見つけました。海岸は途中で行き止まってしまい、これ以上先へ進めないようです。港へと引き返します。
向島北東部の海岸。流木が漂着していた
引き返した港には、電動車いすに乗ったおじいさんが出てきていました。おじいさんに、学校の方へ道を進んだら行き止まった旨を伝えると、住宅の間を通る道を上へ向かいなさいと言います。島の中央は標高が高くなっており、道はそちらへ続いているようです。山の上の南西端には、白い灯台も建っています。言われた通りに上へ進みます。
道沿いには、斜面であるにもかかわらず、あちこちに小さな畑が作られており、ねぎや大根といった野菜が植わっています。農作業をするおばあさんたちともすれ違いました。上りきったところは、島の墓地になっていました。墓石が並び、お地蔵様もあります。
左隣には、彩色された鮮やかな水子供養のお地蔵様も。右隣には、なぜか10個ほどのやかんが、かん木に吊り下げられていました。
ここからまっすぐ灯台の方へと道を進みます。灯台のふもとには、これまた小さな坐像が、頭から肩にかけてタオルを巻かれた状態で鎮座していました。あちこちで見つけられる小さな偶像。この島の人たちは、信仰心に篤いようです。
時刻は午後0時20分ごろ。ちょうど昼飯時。灯台のふもとは公園になっていて、両脇にいすのついた長さ9メートルの野外テーブルが設置されています。片方の列に18人、両列でざっと36人が座れる計算。ぜいたくにも、この長大な卓といすを1人で使うこととしましょう。持参のおにぎり3個を平らげ、小春日和の日差しの中、長いすの上に寝転んで、しばし休息。1時間以上そこでまどろんでいました。ぐっすり昼寝したいところなのですが、帰りの船の時間というものがあるので、残念ながらそういうわけにもいきません。
この島は、全般に断崖が多く、とても一周はできません。この後、鷹島が見える島の西側の海岸、島中央の展望台(見晴らし悪し)、再び灯台公園と歩いて回り、午後3時半前に漁港へとたどり着きました。さきほどの電動車いすのおじいさんが、同じような年配の5、6人の仲間とたむろして海を見ています。帰りの船は4時じゃよ、と教えてくれました。
港で待っているうちに、行きも一緒だった釣り人の高校生、さらに出港時間間際には、やはり日帰りで帰ってしまうのか、例の子供4人連れの女性と男性も現れました。行きと同じ8人が乗り込んで、船は出港。私と高校生は、行きと同じように今度も、船室ではなく甲板に座ります。またここは寒いかな…… と思っていたら、突然、右舷からざぶんと大きな波がかぶってきました。右に座っていたのは、高校生。不運にも、右半身にたっぷりと潮をかぶる羽目になってしまいました。
「だ、大丈夫だったかい?」
と親切ごかした声をかけながらも、私は左舷に座っていた幸運を、心の中でひそかに喜びました。
▼佐賀7島のコミュニティーサイト http://www.saga-shima-show.jp/
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