中国
Chugoku
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久米町 Kume Town
岡山県の北部、中国山地沿いのほぼ中央に位置する山里・久米。中国自動車道は通っているものの、特にこれといったもののないのどかな山里で、以前は特に訪れる人もありませんでした。そんな町が、ふとしたことで日本全国にその名をとどろかせることになったのです。
この町に、N元さんという人エンジニアが住んでいました。この人があるとき、「二足歩行のできる人型マシンを作ろう」と思い立ち、どんなデザインがいいかとSF作品に登場するマシンを当たった結果、それを「機動戦士Ζガンダム」に登場する主役メカ「Ζガンダム」に決定しました。
製作を始め、足にシリンダーを組み込んで何とか動かすこともできる全高7メートルのその機体が、N元さんの家の庭で1999年末にその完成した姿を現したとき、「岡山の山里にΖガンダム出現」の報が地元から徐々に広まり、やがて全国各地からこの山里へ参拝客が訪れるようになったのです。作者のN元さんは、より多くの人に見てもらうため、町の道の駅にこの機体を寄贈することにし、
町の方で予算をつけて格納庫も作られました。2000年10月、Ζガンダムが道の駅へと移ったときには、今はなき写真週刊誌「フォー○ス」(○潮社)が誌面に取り上げ、私を含めた全国の人の知るところとなったのです。
私と、同じく富野由悠季作品の愛好者である同僚・W林氏は、これを知っていつか久米町に行こうと語り合いましたが、当時いた北九州から岡山というのは、日本全体を見れば近いとはいっても、やはり相当距離があり、なかなか決行するには至りませんでした。そんな中、2003年春、W林氏が
異動で本社から転出することになり、それでは最後の記念にと、W林氏が北九州での最後の勤務を終えた後の5月1日、温めてきた計画はついに実行に移されることになったのです。
その日は、たまたま非番だった同僚のH中氏(一般人……ではないが、この系統ではない人)に、目的と目的地は告げぬまま一緒にドライブに出かけようと声を掛け、3人でW林氏の車に乗り込みました。天気は快晴。北九州から岡山中央部までの400km強、W林氏の時速150キロ超の運転が効いてか、実質の出発時間は
午前11時ごろだったにもかかわらず、午後2時半ごろには、目的地最寄りの中国自動車道・院庄インターチェンジを降りることができました。インターチェンジを降りるとき、W林氏が料金所の人に尋ねました。
「道の駅・久米の里はどう行けばいいですか?」
「こう行ってこう行けばすぐですよ」
よどみない返事が返ってきました。おそらく、聞く人が多いのでしょう。教えられたとおりに進むと、しばらくして目的の道の駅が見つかりました。
「着いた、着いた」
W林氏が車を乗り入れます。
「あれ、道の駅が目的地なんですか?」
事情を知らないH中氏がけげんそうに尋ねます。私が答えます。
「そうだよ、あれ、あれ」
「道の駅・久米の里」に飾られているΖガンダム
さんさんたる陽光の下、前方には全高7メートルの「Ζ」の雄姿。私とW林氏は興奮し、H中氏はあっけにとられました。
道の駅には、岡山だけでなく、佐世保や広島、鳥取といった遠方のナンバーを付けた車が並んでおり、中にはファーストガンダムに出てくるモビルアーマー「ザクレロ」を車体に描いたものもありました。「Ζ」の前にいる観光客はみな、判で押したようにカメラを手にしています。
考えることは同じなのでしょう。私も愛用の一眼レフ「キヤ○ンEOS-kiss」を手に、「Ζ」の雄姿をフィルムに収めました。
これだけのためにわざわざ立ち寄った山里。「Ζ」を見てしまったら、ほかに特にすることはありません。30分ほど滞在して、後にすることにしました。まあしかし、せっかく訪れたのだからと、この「道の駅・久米の里」で私は、岡山名物のきびだんごと茶そばとを買い、
1000円足らずのお金を落としていきました。
出雲/松江 Izumo/Matsue
山陰は、きわめて交通の不便なところです。特に、近畿からも四国からも、私が現在(1998年2月)住んでいる九州からも遠い、島根県は。
しかしそんなところにも、キツネやタヌキだけでなく、人も住んでいて、松江のような14万の人が暮らす都市もあるらしいです。お金も、木の葉ではなく、ちゃんとした日本の通貨(お札、硬貨)が
出回っているそうです。
そんな不便な島根県も、太古の昔に神々が降臨して、日本の国を作り上げたという神話の土地です。
私の古い友人にS谷というのがいます。ペンネームを「きつね」と名乗っているので、以下、「狐氏」と呼んでおきましょう。
その狐氏は、趣味として、鉄道や船に乗っての旅行記をはじめとする各種文芸に手を染めています。最近(1997年)、出雲の古代神話をもとにした小説を執筆中だと言っていました。
その狐氏から、「Ar君(注:私ではなく同位体の人。職業は医者)の結婚式に出席するため鹿児島へ行くけど、途中で島根へ行って神話の里の各神社の取材をするねん。Ar氏(これは私)もどうですかな」という連絡がありました。
基本的に腰の重い私ですが、なんとなく、このときを逃したら、一生山陰には行かないような気がしたので、1泊2日で付き合うことにしました。2日目は、夕方に帰ってその足で会社に向かい、夜勤に入るという強行軍です。
狐氏と11月7日AM7:29に松江駅で待ち合わせ(女の子でないのが不満)。交通の著しく不便な松江へ出向くのには、北九州をPM11:15に出発する深夜バスを使いました。深夜バス初体験の私は、全く眠ることができず、徹夜状態(これをてっちゃんといいます)で
AM7:00前に松江に到着しました。予定時間より5分ほど早く、狐氏とも合流できました。
この旅行の主宰は狐氏なので、スケジュールは狐氏にまるっきりおまかせ。狐氏の立てた計画では、まず出雲へと向かい、神々が出雲に集った後、全国へ飛び立つ前に立ち寄る場であるという万九千神社を取材、縁結びで有名な出雲大社を観光した後、
再び松江方面へ戻り、佐田神社を取材。そののち、松江駅からJR木次線に乗って2時間あまりの奥出雲・出雲横田へ向かい、宿泊というものでした。
まずはJR山陰本線に乗って、出雲方面へと向かいます。万九千神社に立ち寄るため、出雲市駅の1つ前、直江駅で降りました。徒歩で、万九千神社、そして出雲市駅へと向かいます。
天気は晴れ。晩秋のすがすがしい朝です。やや冷たい、清澄な空気が、五臓六腑にしみました。狐氏と男二人で、てくてくと歩いていきます。まだ市街地という雰囲気からはかけ離れた、のどかな田舎びた風景。実をつけた柿の木。この季節にも咲いている花々。
池に戯れるカモ。川にかかった鉄橋の上を駆け抜ける列車。いい風景です。
写真が趣味の狐氏は、旅行では常に一眼レフのカメラを持ち歩いています。私も、旅行の記録を残すべく、1年ほど前から一眼レフのカメラに入門していました。もちろん、この旅行にも持ってきています。朝のすがすがしい風景。写真に収めない手はありません。
狐氏の指導を仰ぎつつ、二人して写真を撮りつつの道中となりました。
万九千神社は、小さな神社でした。観光客が来るような名所ではありません。川辺の土手からそう離れていない平地の真ん中に、ぽつんと小さな森があると思ったら、そこがめざす万九千神社でした。
秋晴れの出雲・万九千神社で、風景を写真に収める狐氏
小さい神社ですが、やはり由緒正しい神社であるらしく、掲示板には長めの説明が施してあります。建物は古く、とりあえず人の気配は感じられません。
神社のかもし出す雰囲気が本当にすばらしく、風景にきれいにとけ込んでいます。もちろん、何回も角度を変えてシャッターを切りました。お賽銭箱に数十円の小銭を投げ込み、お参りすることも忘れません。
「そろそろいこうか」
のどかな風景を堪能しつつ、実にゆっくりと歩んできたので、狐氏の計画した時間をすでに1時間以上過ぎていました。
この後、もう少し歩いて出雲市の市街地へ到着。そこから一畑電鉄に乗って出雲大社へ。ここでも、近くの海岸まで歩いていったりして道草。堤防に派手な落書きを見つけ苦笑しました。
出雲大社を後にし、再び一畑電鉄に乗って、松江方面までとって返します。車窓からの風景は明媚だったのでしょうが、徹夜状態だった私はぐうぐうと眠っていました。終点の松江温泉駅で下車。道草を重ねたおかげで、もうPM3:00近くになっていました。
昼飯がまだだったので、松江の町並みを散策しつつ、飯屋を探します。蒸し寿司のお店を見つけ、入りました。軟らかい蒸し寿司は美味でした。
こんなことをしているうちにまたも時間は過ぎて、PM4:00を回ってしまいました。狐氏の計画では、まだ佐田神社の取材が残っています。しかし、もう時間がありません。ここに行ってしまうと、JR松江駅をPM5:07発の出雲横田行き列車に乗ることができません。
この列車を逃すと、出雲横田へ到着するのがPM9:00を過ぎてしまいます。狐氏は未練があるようでしたが、結局あきらめざるをえませんでした。
出雲横田行きの列車は、完全な通学列車でした。思っていたよりずっと混雑した車内の乗客は高校生ばかりで、一般人はほとんどいません。私と狐氏は、車内で飲もうとビールを何缶か乗る前に買ったのですが、高校生の手前、とても口をつけられる情況ではありませんでした。
高校生たちは、表情がかなり邪悪に見えたのが気になりました。
PM7:00すぎに、出雲横田へ到着。ビールは、旅館で消費されました。
石見銀山/浜田 Iwami silver mine/Hamada
島根県の西半分は、石見地方と呼ばれます。神々の里・島根県らしく、秋には伝統の石見神楽が、各地区で盛んに舞われる土地です。ただ、出雲大社で全国的に有名な東半分・出雲地方に比べると、知名度では劣っているようです。中心都市の浜田にしても、人口4万人ほどの小さな町です。
私の中でも認識の薄かった石見ですが、歴史と文化に興味をもつ私は、浜田に単身赴任した会社の人(F留さん)を訪ねるかたわら、この地にかつて栄えた「石見銀山」を見に行こうと思い立ちました。
石見銀山跡は、JR山陰線大田市駅からさらにバスで入った大森町というところにあります。銀山は大正時代に閉山となり、残念なことに今では銀も落ちてはいませんが、江戸時代、鉱山が華やかなりしころには、相当な数の鉱夫とその家族が生活した銀山エリアの町並みは、今ではにぎわいこそないものの、
静かで落ち着いた雰囲気があります。ちょろちょろとした小川が流れ、生と死が身近にあった人々の信仰心を表すお寺もあそこそこにあります。朝早く小倉を出て、午後2時近くになってようやくここに到着した私は、銀山の横穴式坑道・龍源寺間歩や、今は資料館になっている大森代官所跡などを見て
歩きました。代官所跡近くの町並み交流センターでは、分かりやすく銀山の歴史や人々の生活を紹介したビデオを見ることができ、これはかなり参考になりました。
石見銀山の歴史を感じさせる大森の町並み
銀山観光の後は、大田と浜田の中間あたりにある温泉津温泉に移動して、一泊。かつて銀山の銀の積出港だったという小さな港町・温泉津、たどりついたころの紫に染まった夕暮れがきれいでした。旅館の温泉は、湯船は小さくて古く、やや濁ったお湯が満ちていました。湯船の広さやきれいさばかりが
PRされがちな最近の温泉とは対極をなす、昔ながらの温泉という感じがしました。
翌日、浜田へ移動。正午前に到着し、仕事を中座したF留さんが出迎えて、案内してくれました。すごい数のとんびが飛び交うマリン大橋近辺、奇岩の並ぶ浜辺・畳ヶ浦、今は建物が何もなく、石垣と木立だけの浜田城址。日本海に面した水産業の街は、徐々に深まりゆく秋の風に吹かれて、どことなくもの悲しげでした。
山陰は、交通の不便なところです。多少高速化されたとはいえ、列車の便も多くありません。この日のうちに小倉に帰るのなら、JR浜田駅を午後4時の特急に乗らなければなりません。「浜田に赴任することが決まったとき、いずれ遊びに行くからと言ったやつは何人かいたけれど、本当に来たのは君が初めてだったよ」。
単身赴任で、やや寂しそうなF留さんに見送られ、私は浜田を後にしました。
萩市 Hagi City
日本を代表する観光地・萩。江戸時代の毛利家の城下町であり、幕末に活躍した志士たちを輩出した場所です。豊臣秀吉の朝鮮出兵により、半島から連れてこられた陶工たちによって始められた萩焼も、極めて有名です。現在も城跡、武家屋敷など歴史ある建築物が残り、幕末の志士たちの
記念館も整備されています。窯元もたくさんあり、萩焼を売るお店も軒を連ねています。レンタサイクルを借りて巡るだけで、まる1日費やされることでしょう。
観光地としてあまりにも有名なので、ここでは詳しいことは省略します。が、私が住む北九州で出会った外国人に、「日本の歴史と文化の感じられる有名な観光地」として勧めるのは、九州の各地をさしおいて、真っ先にここでした。
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